街に落語を。それぞれのきふね寄席

少し早めの夕飯を済ませ、ご近所さんが続々と社務所に集まってきた。昨年9月、西本町の貴布禰神社。「息子さん大きなったね」「お母さん元気にしてはる?」。飛び交う世間話を縫って響いてきたのは出囃子―。

でやしき寄席、きふね寄席を支えた落語家、桂文紅さん。(写真:貴布禰神社提供)

桂春團治、笑福亭松喬、林家染丸…そうそうたる提灯が並ぶ高座に落語家が登場すると、客席の空気が一転した。20年近く続いてきた地域寄席の最終回は「桂文紅(ぶんこう)を偲ぶ会」と銘打ち、過去最高の230人を集めて幕を開けた。

はじまりは1987年、喫茶店のマスターと一人の落語家との出会いから。「さみしくなった界隈を元気にしたい」と出屋敷で「喫茶ポエム」を営む梅谷功さん(65)が、知り合いの紹介で桂文紅さんに相談した。「文紅さんには『1回や2回で終わるんならお断りします』と言われました。地域寄席として本気で定着させる気があるのか、試されてたんでしょうね」と当時を振り返る。

「でやしき寄席」と銘打ち、世話人会を発足。診療所や地区会館での会場設営からもぎりまで、地域の人たちが担った。運営資金集めに地元を駆け回り、社名入り提灯やプログラムに載せる名刺広告を取ってきた。出演交渉は文紅さんが一手に引き受け、シロウトには呼べないような豪華な顔ぶれが高座に上がった。回を重ねるごとに客は増え、会場に収まらないほどになった。

演劇の経験を持つ梅谷さんが、音響や照明といった設営を手がけてきた。

そんな頃「特別例会にきふねさんを使わせてほしい」と頼むと、先代宮司の江田政稔さんも快諾。江戸時代には境内で落語の興行があったと記録に残るきふねさんでの寄席が1988年から始まった。「神社の歴史もさることながら、何より先代が大の落語好きだったんです」と長男の江田政亮宮司。神社での寄席も好評で、名前を「きふね寄席」に改めて独立。出屋敷界隈に「でやしき」「きふね」の二つの地域寄席が誕生した。

「壁に向って100回稽古するよりも、お客さんの前でネタを繰る方が勉強になる」というのは、きふね寄席の高座にもたびたび上がった笑福亭三喬さん。漫才が主流の関西では定席の演芸場が少なく、落語家にとって地域寄席の存在は大きいという。「落語家の頑張りが40、世話人さんの努力が60。ええ地域寄席はええ世話人さんが支えてるんです」。

しかし、20年の歳月を経て世話人たちも高齢化。昨年3月に桂文紅さんが亡くなったのをきっかけに、二つの寄席は惜しまれながらいったん幕を下ろすことになった。「宮司は代替わりし、三喬くんのような落語家も育ってる。世話人も地元の若い世代に引き継いでもらえれば…」と梅谷さん。きふね寄席復活へ期待が高まっている。