写真とかたる 【4】 85年へのこだわり

尼崎で撮った昔の写真を見て、当時の思い出を語ってもらいます。ご本人が写っている懐かしのスナップをお寄せください。

1985 三和西町

「去年の優勝もよかったけど、そら85年は最高やったわ」。

トラキチが集まる三和西町商店街の「純喫茶みら」。この喫茶店の店主で、85年当時はタイガース私設応援団「尼崎三和虎吉会(とらきちかい)」を率いた宮村和治さん(写真右)が85年への熱い思い出を語ってくれた。

「店で試合見ることはめったになかったな。なんでって?そらスタンド行って応援せなあかんがな」。マスターがお店で繰り広げていたのは、試合前の応援の打ち合わせ、弁当、チケットの手配とまさに真剣勝負。

100人近い団員を抱える会長は多忙な毎日の隙間を見つけて、当時尼崎にあった2軍練習場「浜田球場」にもよく野次りに行ったそうだ。「あの頃はアマでも阪神の選手がランニングしてたりして楽しかったわ」。ランニングと言ってもトレーニングではない。ミスをした2軍選手が罰として、帰りのバスに乗せてもらえず走って甲子園まで帰る姿が見れたという。尼崎の厳しいファンからの野次を浴びながら選手はたくましく育ったのだろう。

「そら18年ぶりの優勝は楽しかった。中央商店街の[ごん兵衛]で100人規模の優勝パーティーを3回くらいしたわ。03年の優勝はマスコミや便乗商売は盛り上がってたけど、当時はファンが心から阪神の優勝を喜んでたもんな」。バース、掛布、岡田―伝説のV戦士の名前が。なかでも監督、吉田義男への想いは格別だ。

「吉田さんは子どもの頃からの憧れや」。喫茶みらの店内には、星野ではなく吉田監督の胴上げ写真が今もひときわ大きく飾られている。

今回のご提供は…宮村和治さん

1934年鳥羽市生まれ。三和西町商店街で「純喫茶みら」を経営するかたわら、三和の「虎のご意見番」として活躍中。


取材・文 若狭健作