まつり 第三回 貴布禰神社のまつり・上

日本人でこの世に生を受けた以上、少なくとも一度は関わるであろう「まつり」。人々が集い楽しむ場である。そこで我々の先祖伝来の究極のまちづくりの手段でもある「まつり」を探索してみよう。

宮司も鳥肌が立つほどの迫力

貴布禰神社のまつり、神社用語でいう「大祭(たいさい)」は、宵宮が八月一日、大祭が二日に行われている。大祭とはわかりやすく言うと、神さんの誕生日みたいなものだ。一年に一度、氏子や崇敬者の皆さんが、神前に集い、神さんの誕生パーティーを行っていることになる。自分の誕生日に置き換えて考えるとわかりやすいと思うが、当然寂しいよりは賑やかな方が神様も喜ばれる。

ということで、当社の大祭では鐘と太鼓を打ち鳴らすだんじりが町内を練り歩き、境内でも神楽が随時奉納され賑々しい二日間となる。ここ数年は貴布禰太鼓地車保存会の積極的な広報活動により、尼崎市民はもとより全国のだんじりファンが集うほど参拝者の多い祭りとなってきた。

まず一日は、太鼓とだんじりが神主からお祓いを受けた後各町内を出発する。夕方からパレードが行われ午後八時頃に神社への宮入(みやいり)が始まる。宮入のメインは太鼓による「暴れ太鼓」の演技だ。右へ左へ九十度以上倒し続ける。う~ん、言葉では説明できない激しい演技。宮司の私でも毎年その豪快さに鳥肌が立つ迫力なのだ。ぜひ生で見てほしい。その後はだんじりが八基順番に宮入を行う。

一晩境内に止めていただんじりは二日の朝、各町内へ戻る。そして夕方から尼崎独特のだんじりによる山合わせが行われる。二基のだんじり同士が向かい合い勢いをつけてぶつかりあう別名「けんかだんじり」。だんじりの左右についている棒鼻と呼ばれる長い棒を相手のだんじりの棒鼻の上にのせることができれば勝ちという、だんじりによる決闘である。なぜこのようなことをするのか様々な説があり定かでないのもまつりの自由さというか面白さだ。次号では少しだけ歴史を紐解いてみたい。


江田 政亮 えだ まさすけ
昭和44年尼崎市生まれ。関西学院大学卒業後、産経新聞社入社。平成5年の父で先代宮司死去後、第17代宮司として現在に至る。