ヒトリゴト…

ふた昔までは当たり前だったこと

父が創設し50年間園長を勤めてきた杭瀬幼稚園を、引き継いだのがちょうど1年前の4月。園長になってやっと丸1年を終えたところである。そもそも本園は昭和27年4月に「鎮守の森を保育の庭に」とする神社神道の精神を教育方針の基本として宗教法人で起業した。その後、学校法人化はしたが、その基本は変わっていない。勿論、私も神職で杭瀬熊野神社禰宜として神明奉仕を勤めとしている。

園長就任当初、幼稚園として地域のために貢献したく、今風にいえば何か情報を発信できたらと志だけは一人前にも高く掲げ、意気揚々と船出したものだ。しかし何をするのも初体験ということもあり、いざ、具体化する段で早くも座礁を余儀なくされた。悶々とするうち「やれることからコツコツやれば」との内からの声に後押しされ、ホームページの開設を思い立ち、神社と幼稚園それぞれほぼ同時期に完成できた。( http://www.kuise.com/

幸いなことに私には、幼稚園の諸行事の際に保護者の皆様にご挨拶するという機会がある。これを最大限に活かして若いお母さん達に、ふた昔前までは当たり前だったこと(日々の生活でのお宮さんとの関わり方)を中心に話をさせていただくようにしている。すると意外に伝統的な古い話にも耳を傾けてくれ、共感してもらえる。この種の話を聞く機会が、彼女らが大人になる過程になさ過ぎたのではないかと感じる。ふた昔前までは当たり前だったと記したが、本来ならば、ひと昔のはずがもうひと昔飛び越えているわけで、このひと昔の間にわが国は大切なものをいっぱい加速度的に失ったような気がしてならない。

幼稚園は今、子育て支援の担い手として社会から期待されている。このことでも大いに貢献できたらと考えると同時に、景気低迷で元気のない世の中にあっても、次代を担う幼児の教育現場が元気をなくしたら生まれるものは何もないという覚悟で、日本人が大切に守り続けてきた事柄を根底に置いた、これからの幼児教育の姿を考えていきたいと、国道2号沿い左門殿川の手前、つまり、尼崎市南部の東端の地で思うものである。


中西 功 (なかにし いさお)

昭和24年尼崎市生まれ 学校法人熊野学園 杭瀬幼稚園長