松尾の精神が息づく

貯金箱博物館に今も飾られている松尾高一の胸像

第1次世界大戦後の不況下、当時尼崎にあった銀行はみな統合、解散していった。金融機関の地元離れによって、尼崎の中小企業は、融資が受けられず困り果て、高利貸に走るしかなかった。

そんななか、尼崎の窮状を金融を通じて打開しようと立ち上がった男がいた。松尾高一32才、尼崎信用金庫の創業者である。「銀行に相手にされない中小零細企業を助けたい」松尾の想いが、尼崎の名士たちの心を突き動かし、1921年に尼崎信用組合として実現した。経営理念である「郷土のお金を郷土に資金化」。この精神は全国の信用金庫経営の原点として尊重されている。

地域の相談が集まる

本店は「尼信通り」から一筋東の五合橋線沿い。本店2階にある「資産運用相談コーナー」には、古くからの地主、事業者、商店主など尼崎を支える人たちからの相談が年間1000件以上も寄せられる。各支店に寄せられる相談のなかでも特に細やかなアドバイスが必要な時、ここで税理士や不動産鑑定士といった資格を持つ専門的なスタッフが対応する。「地域の人からの声を聞くことで、尼崎のまちの現状が手にとるようにわかるものです」と話すのは不動産鑑定士の小畑敬重さん。あましんには、尼崎のまちを語ることのできる人材がいる。多種多様な人材を揃え地域のニーズに柔軟に対応する『地域密着』。これが信用金庫のキーワードだ。

テナントから花嫁まで

店鋪番号002。杭瀬支店は今年で77年目を迎えた支店第一号。古くから栄えた杭瀬商店街に大正15年開店、商店街とともに歩んできた老舗支店だ。杭瀬商店街は周辺の工場労働者をお客に早くから栄え、昭和2年、市場の株式会社化を支援したのが今にいたる付き合いの始まりだ。

他支店と違うところは、3代にわたって付き合いのある古いお客さんが多いこと。「歴史の重みを感じます」とは村木彦志支店長。古いお客さんに教えられることが多い。「なぜここに支店第1号が出来たのか分かるような気がします」という一言が印象的だ。商店街の集会に呼ばれ、活性化を店主とともに思案することもある。「都市銀行が総合病院なら信用金庫は気軽に通える町医者のようなものです」。空き店舗活用から結婚のお相手探しまで小さな相談にも応じる。「お客様の顔を見るだけで何の用事で来店されたのかわかる」という名物テラーもいる。地域にしっかり根を張った、頼れる支店だ。

三崎の信用金庫

大都市近郊の工業都市、川崎、岡崎、尼崎を「三崎」と呼ぶそうだ。かわしん、おかしん、そしてあましん。どこにも大きな信用金庫がある。「中小企業が多いまちでこそ地域の信用金庫は頑張らないと」と総合企画部広報グループ若宮悟志部長。

信用金庫の取引先は「従業員300人または資本金9億円以下の事業者」と法律で定められている。また営業地域も限定されているため、地域との共存共栄を目指すのは信金の宿命だ。

銀行は株式組織の営利法人、株主のために多くの利益をあげるのが使命だ。一方、信用金庫は、地域の事業者や商店主、個人をメンバーにした協同組織の非営利法人。地元で集めた預金を、商売や事業でお金が必要な会員に融資する。「地域のことを第一に考えるのはそんな理由から。決して利益優先ではありません」。

信用金庫が地元企業を育てるという見方もある。「卒業生も多いんですよ」と若宮さん。規模が大きくなって取引きできなくなった会社を卒業生と呼ぶ。今後は地域でビジネスチャンスを見つけたベンチャー企業や若い事業者を支援していきたいという。あましん生みの親は32才で信用組合を興した起業家だったのだからと。