論:あの素晴らしい「闇市」をもう一度 有限会社闇市代表取締役 伊藤修資

ここ数年、旨い焼肉を求める肉好きたちは、淀川や武庫川を越えて尼崎に集まる。創業半世紀の老舗も多いが、10年前に鮮烈デビューを果たした店が、中央商店街の近くにある。その名も「闇市」。徹底した価格破壊と、にもかかわらずの旨さで、尼崎を代表する行列店となった。今年9月には山幹通り沿いに3店目を出店。尼崎の南北を股に掛けるオーナー・伊藤修資さん(39)に熱い想いを語ってもらった。

商店街が遊び場だった

祖母が今の新三和商店街あたりでお菓子屋を始めたのが昭和25年。戦後の闇市で栄えた界隈の様子をよく聞かされました。僕の生まれは中央4番街。遊び場はもちろん商店街です。人ごみの中をローラースケートで走り、長崎屋やイズミヤではかくれんぼ。お菓子屋の店番もしたし、段ボールを集めてお金を稼いだりと、小学生の頃から商売の楽しさに触れていました。

東京で受けた衝撃

18才の時にビッグになろうと東京へ…って、分りやすい青春時代でしょ。役者を目指したり、バブルに沸く不動産屋で働いたり、色んなことを経験しました。そんな時に出会ったのが、吉祥寺にあった行列ができる焼肉店「牛鉄」。当時、関西では焼肉屋やホルモンといえば、まだまだオッサンのイメージが抜けなかったんですが、その店の洗練されたインテリアや肉の安さに「やっぱり東京はちゃうなぁ」と感動しました。こんな店を地元で流行らせたいと、初めて行った次の日から、修行させてもらうことになりました。

「捨てないこと」学んだ地元修行

4年後の1997年に尼崎へ帰郷。まずは、三和市場のカゴモトというホルモン店で精肉の勉強です。内臓掃除の仕方といった技術だけでなく、「捨てないこと」の大切さなど、肉に対する考え方を叩き込んでもらいました。実家のお菓子屋のすぐ近くに、念願の店を持てたのは99年のことでした。

店名に込めた想い

尼崎に帰って驚いたのは、商店街の人通りがずいぶん減っていたこと。実家のお菓子屋も下火で、あの商店街の輝かしい姿を知る者としては、ものすごく悔しかったですね。ちょっと生意気ですが、自分の代で、なんとか昔の活気をよみがえらせたいと思ったんです。それで付けた店名が『焼肉問屋「闇市」』。人がわいわいと集まる活気、ちょっと懐かしさもあって…祖母や父から聞かされてきた新三和の闇市への想いを込めました。「どんな肉売ってるか分らんような怪しい名前や」なんて言われたりもしましたけど、ほんまにええ名前やと気に入っています。

闇市のにぎわいを再び尼崎へ

2004年に別館、今年9月には山幹通り沿いに武庫之荘店(水堂町)をオープン。「北部進出ってやつでしょうか」と笑う伊藤さん。「店の内装は北部の客層にあわせて、本店よりはちょっと上品にしています」とか。

安さの理由?「一頭買い」ですかね。部位によっては思い切り値段を下げて、薄利多売で売り切ります。まあ、いちばんの理由は、うちが儲けてないだけ(笑)。

ミード幼稚園、御園小、明倫中と、母校はすべて廃校になりましたが、新三和に同級生の洋服店「赤玉」があって、彼とは今も飲み友達です。昔の商店街や市場の、ここでは言えないようなオモロい思い出話で盛り上がります。「三和市場で飲み食いできたらオモロいなあ」とか「アーケードの下で七輪で肉焼けたらええなあ」とか、アイデアも色々出ますよ。いつか自分たちの手で闇市を復活させたい。「南部再生」への想いはずっと温めています。


いとう しゅうすけ
1968年、尼崎市生まれ。県立尼崎高校卒業。役者志望だったという経歴も納得のルックスと柔らかい物腰で、夜な夜な「研究」と称して繁盛店を飲み歩くとか。