おせいどんと尼崎 田辺聖子インタビュー
「女流大阪弁文学」の草分けで、常に新しい女性の恋や生き方を描いてきた田辺聖子さん(78)。自伝をもとにしたNHKドラマ「芋たこなんきん」も好評だ。40年以上に及ぶおせいどんのキャリアは尼崎から始まったのだ。
大阪・福島の写真館だった実家が戦災で焼けて、とりあえずという感じで尼崎に移ったのね。でも父は終戦の年に亡くなって、結局そのまま20年以上住むことになって。妹や弟が結婚して家を出た後も、私はそこから勤め通い。残った母と2人で「私ら沈殿等(物)やな」いうて笑ってましたね。
西大島の三軒長屋の真ん中。武庫川の眺めがよくて、終戦後には花火大会もあったわ。三間しかない家で、夜中に書いてたら「電気消してくれな寝られへんやないの」って妹によう文句言われました。ある日、婦人雑誌の編集者が家まで来てくれて「この作品は長編にすれば女の一生物になるから、うちで連載を」って。それが『花狩』という最初の長編小説ね。
芥川賞もらったのもその家。あくる日、東大島の市場に行ったらお豆腐屋さんや魚屋さんが「いやあ、お姉ちゃんエラい人やってんなあ」て喜んでくれて。「おめっとうさん」いうて、おみかん二つ余分にもらったりしました(笑)。
『うたかた』で描いた出屋敷にもよう行きましたよ。文学学校の友達が住んでてね。ホンマにぎやかでオモロい町やったわね。安い飲み屋でコップ酒、アテはどて焼き。私らそれで文学論議してました。大阪や神戸にも住んで、いまは伊丹ですけど、どこ行ってもやっぱり庶民の町が好きですね。