ここにもあった尼との縁 尼と阪神のいい関係

街とのつきあいは100年以上。市内に6つも駅があるし、きっと濃くて深い関係があるはず。西宮や芦屋にも見せつけたい、尼崎ならではの“阪神さん”との素敵な歴史をご紹介。

1.すべてはここからはじまりました。

阪神電鉄創業の地は尼崎だった。

1905年、大阪・神戸間の全線開通により阪神電鉄は開業した。これに先駆け04年には、尼崎車庫と車両工場が完成。同社の拠点として尼崎町(大物村字田町))に本社所在地が登記された。その後、実質的な本社機能が大阪へ移ってからも、85年まで本社所在地だけは尼崎に残ったのには、何か深い縁を感じないだろうか。

創業地の象徴ともいえるのが煉瓦造の発電所。ここで作られた電力は、電車を走らせただけでなく、一般家庭や工場にも供給され、急速にすすむ工業化を支えたのだ。まさに「阪神あっての尼崎」。19年の廃止後も倉庫として姿をとどめる。赤煉瓦の洋風建築は、阪神電車が“ぼくのまち”から生まれたことを物語る尼崎遺産なのだ。

2.思い出の車両は今も残しています。

幻の阪神国道線車両「金魚鉢」が2台も保存されている。

かつて阪神国道を走っていたチンチン電車。マニアからは「鉄道史に残る名車」と称賛され、可愛らしいルックスから『金魚鉢』と呼ばれた車両が、今も市内の水明公園と蓬川公園で、住民に愛されながら余生を送っている。車内は冷暖房完備、車両の半分は畳敷きに改造され、まるで“お座敷列車”。近くの町内会の会議室として、囲碁や将棋、絵手紙教室などに使われている。毎年、水明公園では近くの町内会が電車を囲んでお花見やお餅つきも。走らなくなっても、たくさんの人たちに「乗車」され続けているのだ。

3.一帯はまるで「阪神ランド」 昔は若トラたちも練習してました。

大庄川田町には阪神関連施設が集まる。

国道2号線に面した阪神バス浜田車庫周辺には、「阪神モータードッグ」や「ボウル阪神」など阪神電鉄の関連施設が集まっている。「昔はバースも練習していた」という浜田グラウンドは79年に開設されたタイガースの練習場。往年の名選手が汗を流したが、鳴尾浜球場が完成し94年にその役割を終えた。一大ブームに先駆けて、68年にオープンしたボウリング場「ボウル阪神」は、40周年を迎えた今も現役。阪神国道線の車庫として路面電車が行き交った一帯はまさに「阪神ランド」なのである。

4.この高架下でみんな一人前になりました。

電車の教習所がセンタープール前にあった。

震災で倒壊した神戸の石屋川車庫から、尼崎センタープール前駅高架下へ移転した教習所。阪神電車の運転士の卵たちは尼崎で学んでいたのだ。厳重なフェンスの向こうにはレトロな2台の車両が。もしや教習車か、と思いきや阪神電車が保存する唯一の旧型車両だった。一度は和歌山県にあった野上鉄道へと譲渡されたが、1994年に廃線となったのち里帰りを果たした。「かなり貴重な車両ということもあり保管を決めました」という広報担当者。601形と1141形の歴史ある2台は、未来の鉄道マンを静かに見守る。

5.阪神さんの魅力をもっと知りたいなら… ファンサイト「まにあっく阪神」がすごい。

毎年4月1日には「はにわっく坂神」なるジョークサイトも登場する。

鉄道ファンなら誰もが知る阪神電鉄公認サイト「まにあっく阪神」には、車両の諸元表、細部の写真、編成図などが満載。96年にスタッフページとして社内の鉄道ファンで立ち上げた名物サイトだ。通常業務とは別に、サークル活動的に10人程度で運営する。「主に更新しているのは1人ですが、撮り鉄、乗り鉄、車両鉄と幅広いスタッフがいます」とメンバーの一人、松尾健一さんが言うようにあらゆるファンを唸らせるネタが充実。ダウンロードして組み立てるペーパークラフトは必見です。