論:阪神間で生まれた沖縄のうた 毎日新聞大阪本社宣伝プランナー 稲垣 暁

明治時代に沖縄・奄美から神戸への航路ができて以来、国家の基幹産業を支えるため、特に戦後は高度経済成長の担い手となり、多くの人々が阪神間に移り住んだ。歌や踊りが生活に溶け込んだ南の島の出身者は、この地でも「我が島の歌」を大切にしてきた。世代交代した今も、阪神間に沖縄のうたは息づいている。

人でつながってきた

川門正彦さんの「チバリヨー」。2003年1月末に沖縄で再リリースされた

1994年12月、沖縄に住む川門正彦さんは、尼崎の沖縄民謡酒場で半年ほど仕事をするため尼崎に居を移した。92・93年と沖縄三線早弾き大会で優勝するなど活躍、尼崎の知人から出演依頼があり、都会で実力を試してみようとやってきたのだった。

明治中ごろに南西諸島と神戸を結ぶ定期航路が開通して以来、阪神工業地帯は九州・沖縄から多くの労働力を吸収してきた。差別的経済政策や構造的貧困で苦しんだ沖縄・奄美地方からは、多くの人が仕事を求めて大阪、尼崎、神戸の工業地域周縁部に移ってきた。川門さんの来尼も、そんな同郷者のつながりによるものだった。

川門さんが来て1ヶ月足らずの95年1月17日、阪神大震災が襲った。「半年で帰るわけにはいかない」。自分にできることは音楽しかないと、ミュージシャン仲間と被災地をまわった。人々がぶつかり合いながら懸命に生きる姿に人間本来の姿を見、「チバリヨー」という曲を作った。

「チバリヨー」 作:川門正彦

人間一人しぃ ぬーないがて/確かに一人し 生ちらるゆみ/人とぅ人とぅ 肝合わちょてい/渡てぃ行ちゅしどぅ 人間やる/ウミチドゥー チバリヨーや

人間一人で何ができるのか/確かに一人で生きられるのか/人と人とが心を合わせて/助け合って生きるのが人間なのだなあ/思い切りがんばろうよ

在日外国人のため神戸・長田に誕生した「FMわいわい」で、琉球民謡に関する番組のDJを担当。沖縄・奄美も含め多文化が共生する神戸で、ラジオから励ましの声と歌を送った。2000年を区切りに6年間過ごした尼崎から故郷・石垣島に戻った。

沖縄への思いを曲に

戦前、出稼ぎで関西に来た故・普久原朝喜さんは1927年、西淀川で沖縄民謡レーベル「タイヘイマルフクレコード」を設立、レコードを自転車に積んで売ってまわった。スタジオは西宮にもあったという。

戦後、沖縄・奄美は米国の占領地となる。帰る場所を失ったばかりか、国内唯一の地上戦で壊滅状態となった沖縄にいる身内や親戚の安否すらわからない状態となった。その思いを普久原さんは「懐かしき故郷」という曲にした。51年、ようやく沖縄と神戸を結ぶ定期航路が復活した際、普久原さんは神戸港中突堤で沖縄へ向け出帆する船を見ながら「通い船」を書いた。関西の同郷者ばかりか、故郷沖縄でも売れに売れた。

「懐かしき故郷」 作:普久原朝喜

夢に見る沖縄 元姿やしが/音に聞く沖縄 変わてぃ無らん/行ちぶさや 生り島

夢に見る沖縄は昔と変わらないが/伝え聞く沖縄は変わり果ててしまったそうな/帰りたい、生まれた島へ

「通い船」 作:普久原朝喜

嬉し懐かしや 振別りぬ港/何時までぃん肝に 染みてぃでむぬ/サー那覇とぅ大和の 通い船よ

嬉しい懐かしい手を振って別れた港よ/いつまでも心に染みているよ/那覇と本土の通い船よ

沖縄・奄美は「歌の島々」。数多くの労働歌や作業歌、遊び歌が唄いつがれ、新しい民謡も次々と誕生する。阪神間に移り住んだ沖縄・奄美出身者も、自分たちの歌を大切に歌い継ぎ、時には自分の思いを詞や曲にした。時代もキャラクターも違うが、普久原さんも川門さんも同じ思いで歌を作り、唄ったのだろう。

阪神間に今に息づく”琉歌”

普通の市民にも、思いを歌にし三線に乗せて唄う人がいる。西宮に住む仲里廣文さんは震災で自宅が全壊した際、故郷石垣島への思いを歌につづり、三線で弾き語ってきた。一昨年に勤め先のリストラに遭ったが、一念発起で始めた沖縄料理店で歌い続ける。

「無題」 作:仲里廣文

うるずんの風と花咲く頃/ふる里のにおい 海山思い出す/帰ろう 帰りたい 帰る夢枕/あがろうざ、ユンタにとぅばらーま/唄う時 まぶたに父や母/帰ろう 帰りたい 情けの島へ

「うるずん」=沖縄で言う旧暦3月ごろの気候
「あがろうざ、ユンタにとぅばらーま」=八重山地方で歌われる代表的な民謡

現在、尼崎市内には沖縄・奄美芸能関係教室・団体が正規のものだけでも10ほど存在する。個人で行っているものも含めれば、かなりの数だろう。活躍中の奄美・沖縄音楽のミュージシャンには、阪神間を拠点に活動してきた人、阪神間から「沖縄・奄美」を発信してきた人も多くいる。今をときめく元ちとせさんは奄美大島出身だが、デビュー前は尼崎に住んで美容師の仕事に就いていたという。

沖縄以外の出身者も加わった地域的なエイサー団体もある。八・八・八・六で構成する沖縄の短歌「琉歌」を詠む人もいる。沖縄・奄美から働きにやってきた人々の支えもあって、神戸や尼崎は今日の発展を見た。そこには、人と歌による南島とのつながりが今も息づいている。


稲垣 暁(いながき さとる)

1960年神戸市生まれ。毎日新聞大阪本社で宣伝企画を担当。レゲエと琉球音楽をセッションさせたCMなどを手がけた。昨年まで関西学院大総合政策研究科片寄研究室で、大都市の南島的空間を研究。フィールドワークとして労働と謡を通じ沖縄・八重山と交流を行う。