尼崎コレクションvol.11《尼崎城鬼瓦(あまがさきじょうおにがわら)》

尼崎市内に現存している逸品を専門家が徹底解説。あまりお目にかかれない貴重なお宝が歴史を物語る。

尼崎城の金之間を守った鬼瓦

62.5×93.0cm
[作品のみどころ] 尼崎城本丸御殿の屋根を飾っていた鬼瓦。表面には尼崎藩主松平家の家紋である九曜紋が彫られている。

尼崎市立文化財収蔵庫の事務室前の廊下を進むと、「尼崎城と城下町」の展示コーナーがあります。まず目に入ってくるのが正面にあるこの大きな鬼瓦です。鬼瓦は建物の屋根の一番高い棟の両端を飾る瓦で、一種の魔除けとして角や牙のある鬼面が作られたことからこう呼ばれますが、後には亀、竜、魚、文様など鬼面でないものも鬼瓦と呼ばれるようになりました。

この鬼瓦も鬼面ではなく、大きな円の周りに8つの小円を並べた九曜紋という家紋が彫られています。この九曜紋は1711年(正徳元年)から尼崎藩主であった桜井松平家の家紋であり、この鬼瓦が尼崎藩ゆかりのものであることがわかります。通常、尼崎藩ゆかりの鬼瓦であることから、尼崎城で使われていた鬼瓦だろうという推測で終わってしまうところですが、幸いにもこの鬼瓦の左側面には「金之間下り」という文字が彫られています。

「金之間」とは尼崎城の本丸御殿の北東にあった「菊の間」と「牡丹の間」という二部屋のことです。この両部屋は、襖、障子、鴨居、壁の全てに金箔が貼られたゴージャスな部屋であったことから、両部屋を合わせて「金之間」と呼んでいました。この「金の間」にはその他にも専用の風呂・茶室や上々段などが設けられており、藩主の部屋よりも格の高い、尼崎城の中でも特別な部屋であることがわかります。恐らくは大変身分の高い客人をもてなすために作られた貴賓室で、普段は使われることがなかった特別室だと思われます。この鬼瓦は尼崎城の中でも特別な部屋の下り棟に飾られていた鬼瓦であるわけです。

明治に入り、廃城が決まった尼崎城の建屋、調度類のほとんどは大阪の商人に売り払われてしまいましたが、金之間については大物にある深正院が有志を募り、本堂として移築して残されていました。しかし残念ながらその本堂も戦災で焼失してしまいました。

「尼崎城と城下町」は常設展示 文化財収蔵庫

収蔵庫の開館は月曜日から金曜日の9時から17時30分。鬼瓦と一緒に御来館をお待ちしています。入館無料・予約不要●南城内10-2 TEL:06-6489-9801


室谷公一●尼崎市教育委員会学芸員
今展示コーナーは、快適にご観覧いただける絶好の時期です。冷暖房未完備ですので…。m(__)m