論:公園を使いこなす ランドスケープアーキテクト 山崎 亮

実録!! 尼崎中央公園24時

できれば聞きたくない言葉がある。「公園なんてあんまり行かないなぁ」という言葉。公園の設計に携わる僕らの無力感を誘うには十分すぎる言葉である。さらに追い討ちをかける人がいる。「特に冬の公園なんて誰も使わないよね」。そこまで言われると「冬でもいろんな人に使われている公園を探してやろうじゃないか」という気持ちになる。実際、僕には一筋の光が見えている。あの街なら冬でも公園を使いこなしている人がいるはずだ。そんな淡い期待を抱きつつ、僕は冬の尼崎中央公園へと向かう。目的は観察。朝5時から次の日の朝5時まで、公園で誰が何をするのかじっくり観察するのである。

6:00
公園愛護会(左下)と野宿者(右上)
8:00
掃除業者によるゴミ収集

12月20日、朝5時。公園の冷たいベンチに腰を下ろす。辺りはまだ暗い。ふと、暗闇から緑色の服を着た人が現れる。「さわやか尼崎」というスタッフジャンパーを着ている。公園愛護会の人だろう。ひとりで手際よく公園を掃除する。ほかに公園の利用者はいない。午前6時。阪神尼崎駅を利用する通勤者が公園を横切り始める。その中に黄色いスタッフジャンパーを着て掃除する人がいる。別の公園愛護会だろう。同じ頃、公園で寝泊りしている野宿者が起床する。大きく伸びをした後、ダンボールハウスを折りたたみ始める。折りたたんだダンボールはエレベーターの壁と樹木との間に差し込まれる。逆に差し込んだ場所からはホウキとチリトリが取り出される。それらを使って彼は自分の寝床の周りを丹念に掃除する。公園愛護会の掃除範囲は野宿者の掃除範囲と抵触しないようになっている。うまい住み分けである。午前8時。ようやく公園の清掃業者がやってくる。公園の掃除を始めるものの、もはやゴミひとつ見当たらない。最後にゴミ箱のゴミを回収して、彼らは公園を去る。

14:00
路上物販
リアカーパンク修理

午後になると利用の面白さに拍車がかかる。午後2時。ブルーシートの上で小物を売るおじさんが現れる。駅から出てくる人が立ち止まって商品を覗き込む。別の場所でも、木彫りの熊や使い古したスニーカーを売るおじさんが現れる。園路が一気に賑やかになる。午後3時。公園の隅にある派出所から警察官が出てきて、おじさんたちの商売をやめさせる。露店は2組とも撤収。午後4時。近くの郵便局がワゴンで年賀状を売り始める。同じ頃、近所の授産施設もワゴンで手作りのパンを売り始める。午後5時。撤収したはずのおじさん1人が戻ってきて露店を再開する。午後6時。たくさんの空き缶をゴミ袋に詰めて運ぶ人が、園内のゴミ箱を順に回って空き缶を集める。落ちている空き缶も逃さず集める。午後7時。駅前で街頭演説が始まる。演説のテーマは「憲法を生活に生かそう」。ハンドマイクを使って仕事帰りのビジネスマンに政治を説く。同じ頃、野宿者が公園へ戻ってきてダンボールハウスを組み立て始める。

20:00 高校生のナンパ

午後8時。男子高校生2人が階段に座っていた女子高生2人をナンパする。所要時間10分。4人は公園に隣接するカラオケ屋へと向かう。午後9時。自転車に乗ってきた女子大生3人が階段に座って談話し始める。かなり気温は下がってきているはずだが、女子大生はその場所で午後11時まで話し続ける。女子大生が帰った後、カラオケ屋から出てきた高校生4人が同じ場所に座って談話を始める。3時間前に比べて彼らが座る位置はかなり近づいている。午前1時。若者4人がダンスの練習を始める。途中で休憩しながらも練習は3時間続く。午前4時。公園から誰もいなくなる。草むらでは野宿者が眠る。公園全体が寝静まる瞬間。そして午前5時。今日もまた、暗闇から公園愛護会が現れる。

期待通りである。尼崎に住む人は公園の使いこなし方がうまい。「通りがかりの人」から「公園に住んでいる人」まで、それぞれのやり方で公園を使いこなしている。冬でも使いこなしている。どうだ。その気になれば公園はここまで使えるものなのだ。「公園の不思議な使い方」の手本は尼崎にある。もっとも、この日一番不思議な公園の利用者は、ベンチに座って24時間公園を観察し続けるヒゲ面の男だったのかもしれないが。


やまざき りょう

公園の計画・設計・運営に携わる。兵庫県立有馬富士公園の計画やユニセフパークプロジェクトの運営を通じて、公園を使う人が公園をつくることの可能性を探る。
活動の詳細は http://studio-l-org.blogspot.com/search/label/d-yamazakiにて執筆中。