名言とまちへ 第1回
巨匠の言葉は、万人の心をつかんできた。彼らが生み出した名言・金言は、ここ尼崎南部でも感じることができるのか。まちへ繰り出し検証。「巨匠センセー、これってそういう意味ですよね?」
住宅は住むための機械である ル・コルビュジエ
機械に命を与えるのは、住み手じゃないですか?
暑くなってきた、衣替えをしなければ。絨毯をゴザに替え、いっそのこと部屋の模様替えもしたくなる。折しも世間はリフォームブームで、雑誌やテレビを見ては、自分だって、と家まで改造したい気持に刈られる。家具は木でつくりたいね、暑い時には麻が気持ちいい。などと考えていると住宅が機械と聞いても「なんで?」と言いたくなる。
住宅イコール機械ではメカメカしい、スイッチ一つでパンが焼けてコーヒーが出てくるような家を想像するが、どうやら作り手が光や視線、細部までの全てを計算により手を抜かずにデザインする、実用的な家をつくるべきだということのようだ。「建築家はモニュメントの代わりに道具としての建築をつくるべきであり、それにプラス-アルファーを意図すべきではない」。計算外の余分な部分はいらない。本当にそうだろうか。
町の家々はどうだろう。曲がりくねって方向を失うような細い路地に面し、小さな家々が建て込む大庄かいわい。ともすれば窮屈で暗いイメージだが、この路地には生き生きと惹きつけるものがある。建物自身はどれもほとんど同じなのに、その一軒一軒はびっしりと並ぶ鉢や表札、自転車、門灯などにより狭い空間内に個々の表情が育っているのだ。
建築家の思惑通りに使われないのが住宅の常。子供がひとりふたりと生まれ、大きくなって個々の部屋を欲しがり、やがて出ていってしまう。住み始めた新婚の頃にはパンチの効いた赤い壁もいいけれど、段々と落ち着いた色が恋しくなる。親が年を取り同居するのことになると和室があれば良かったなと思ったり、ちょっとした階段が辛くなったり。住み手が住宅に求めるものは、時と共に変化していくものなのだ。住む者は手を掛ければかけるだけ、住宅は思いのこもった自分のものになっていく。住み手なら機械に命を与えてもいいですか。
綱本琴●つなもとこと
1975年神戸市生まれ。武庫川女子大学生活環境学部生活環境学科建築都市設計学研究室助手