ひとりごと

未来にわたり善とされるもの

本紙ご発行のあまけんでは、地域活性化のため、おもにソフトの面から検討、活動を展開なさっておいでと聞いた。血縁すらも、核家族、自己崩壊などをキーワードに希薄になっている昨今、崩壊しつつある地縁の中で、お励みのことと思う。いかなる方策をお持ちか、注目してゆきたい。

話は変わるようだが、大物主神社の御祭神である大物主大神の御神名のうちの一つに、葦原醜男神というものがある。葦の生える原は水辺の土地であるが、そこで汚れて働く者を褒めたたえる御神名だ。大物主大神は、自ら泥にまみれて国造りして、またこれを国譲りした神様である。日本人の精神性を「善を有用性に帰着せしめる」とする指摘があるが、労働で汚れた姿に価値を見いだし、私を離れて必要に応じて行うことを善しとする視点にもこれは表れているように思う。

今回のような機会を与えられて、地域の活性化は云うに及ばず、さまざまのハードもソフトも、現在と未来にわたって善とされるものでなければならないと、改めて考えた。過去の乱開発を挙げずとも、それは誰もが賛成することと思う。それでは、有用であるとは何か。あまけんでもお考えのことと思うし、ひとりひとりが考えるべきことなのだと思う。温故知新ということわざがある。日本人の伝統文化から現在を鑑みることも有意であろう。


畑中 康伸(はたなか やすのぶ)
昭和48年尼崎市生まれ 大物主神社禰宜