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![]() 夕暮れの町、桶をかかえてのれんをくぐる。番台に小銭を置いたらなじみのオッチャンたちに軽く会釈。風呂上がりには扇風機の前で牛乳を一気に飲み干す。誰もが知っているようなそんな下町の一場面、「銭湯の風景」も、最近はあまり馴染みが無くなってきました。ともすれば、一度も銭湯に行ったことのない若者も。 工都として栄えた尼崎は、労働者たちが南部地域に多数居住していました。彼らの住むアパートなどは、そのほとんどは内湯を備えておらず、必然と生活の中に「銭湯」が存在していました。肩よせあって湯船につかり、脱衣所でたがいの近況について話がはずんだり。それが当時の「日常」でした。 しかし、内湯を備えた住居・賃貸住宅が多く建設され、また、かつての住宅密集地が空洞化するなど、下町の「日常」はしだいに日常性を失っていきます。 それでも、下町は今でもいくつかが下町で有り続け、地域の人たちのお風呂やさんは、そんな場所では細々とながらまだまだ「日常」なのです。尼崎南部のあちこちでは、路地をちょっと曲がってみれば、どこかで見たことのあるような光景を見つけることができます。 そんな下町の銭湯の中には、あえて「下町の象徴」からの脱皮をはかり、レジャー施設的な要素を取り入れた新しい銭湯へと変わろうとしているものもあります。下町の原風景が消えていくのは寂しいことですが、時代に合わせて商売の形態を変えるのも、商都でもある尼崎の銭湯の在り方なのかもしれません。 MASAYA |
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