論:尼崎がある聖地になっていた件 岡本健 汰木美咲

尼崎市のコンテンツツーリズム

今、全国各地で盛んに行われている観光振興がある。アニメやマンガ、ゲーム等のコンテンツを活用した観光、「コンテンツツーリズム」だ。作品の背景のモデルに実在の風景が使われて、アニメファンが「聖地巡礼」と称して訪れるケースが多い。観光・地域振興に結び付くものもあり、注目されている。さて、尼崎でもこのコンテンツツーリズムが見られる。アニメ『忍たま乱太郎』(以下、『忍たま』)にまつわるものだ。原作は、尼崎市出身の漫画家、尼子騒兵衛さんの作品『落第忍者乱太郎』。おや、『忍たま』は忍者の話ではなかったっけ? 尼崎の風景が描かれていただろうか…。実は、作中に現代の尼崎の風景は出てこない。それでは、なぜファンは尼崎を訪れるのか。

『忍たま』は、忍術学園で学ぶ「忍者のたまご」たちと、それを取り巻く人々の物語だ。原作マンガの連載は朝日小学生新聞で、子供たちに人気の作品だが、魅力的なキャラクターたちは女性からも絶大な支持を得ている。そのキャラクターの名前を見てみよう。潮江文次郎、久々知兵助、七松小平太…、名字に注目していただきたい。そう、キャラクターの名字に尼崎の地名が使われている。『忍たま』の聖地巡礼は、地名めぐりの旅だ。

妄想力で楽しむ巡礼

巡礼者の若い女性ファンを見ていると、地名が書かれていさえすれば、様々なものが対象となっている。バス停、駅名、看板や道路標識、店舗名、公園の案内板、地名の入ったレシートなどなど…。ただ地名を見るだけでなく、地名からキャラクターを連想し、想像力(妄想力)を膨らませ、様々な楽しみ方をしている。たとえば、六年生の「潮江文次郎」は、作中で10キロの算盤を用いる地獄の会計委員長。鉄粉をまぶしたおにぎりを武器にしている。ファンはそれにちなんで、「潮江」素戔嗚神社や「潮江」公園を訪ね、その場で「おにぎり」を食べて楽しむ。相性の良いキャラクター二人の名字の地名を順番に回るという楽しみ方も。

キャラクターは架空の存在だが、地名はそこにある。キャラクターや作品世界と現実空間との接点を見出して楽しむのだ。中には、海外からはるばるやってくるファンも。神社に奉納されている絵馬には忍たまのイラストとともに英語でコメントされているものが見られた。作品ファンのつながりは、twitterやfacebookなどのインターネットを通じて国境を越えている。

旅人へのおもてなし

地域の人々も様々な工夫で、来訪者をもてなす。七松八幡神社では、『忍たま』にちなんだお守りが販売されている。中でも六色ボーダー柄のものが面白い。実はこれ、忍術学園6学年それぞれの忍者服の色。作品を知らない人にとってはただのカラフルなお守りだが、ファンにとっては「忍たまカラー」の特別なお守りというわけ。七松八幡神社の神主さんは、『忍たま』に詳しく、インターネット上でもファンの評判が良い。作品のことだけでなく、尼崎のことも合わせて様々な知識を語ってくれるガイド的存在だ。

また、尼崎市役所都市魅力発信課では、「出席簿」に記名した人に尼崎のPR任務が書かれた”密命カード”を配布。地名巡りに訪れたファンは2015年6月末時点で3000人に近付いていた。廊下の壁には、訪れたファンが描いたイラストが貼られている。ファンにとって、作品への愛や、地名巡りの楽しさを伝えられることが叶うファンアートは大好評。過去のイラストを綴じたものが閲覧できたり、取り揃えられた色鉛筆やコピックなどの画材で好きなように絵を描くことができたりと、市役所の取り組みに感激するファンは多い。

“分かる人”の楽しみ

コンテンツツーリズムでは、キャラクターグッズ販売やアニメイベントがよく実施される。しかし、それはあくまでコンテンツの力で集客しているにすぎない。そのため、作品人気の低下とともに、来訪者も減少する。一方、尼崎を訪れている忍たまファンは女性が多く、普段はファンであることを隠している人もいる。地名をめぐり、「分かる人は分かる楽しみ」に触れるため、遠方からでも尼崎にやってきている。尼崎は、そんなファンの密やかな楽しみに「居場所」を提供し、そっと忍びよって後押しする「聖地」なのだ。


岡本健 Okamoto Takeshi
奈良県立大学 地域創造学部 准教授。博士(観光学)。専門は、観光社会学、コンテンツツーリズム学、ゾンビ学。著書に『n次創作観光』(北海道冒険芸術出版)『神社巡礼』(エクスナレッジ)『コンテンツツーリズム研究』(福村出版)がある。

汰木美咲 Yuruki Misaki
奈良県立大学 地域創造学部 地域総合学科。4回生(取材時)。