尼崎コレクションvol.20《尼崎城天守閣遺蹟の碑(あまがさきじょうてんしゅかくいせきのひ)》

尼崎市内に現存している逸品を専門家が徹底解説。あまりお目にかかれない貴重なお宝が歴史を物語る。

尼崎城は「日本一」の城郭だった?

江戸時代の尼崎城本丸跡に所在している尼崎市立文化財収蔵庫には、館内に尼崎城展示コーナーがあり、尼崎城本丸や城下町の復元模型、櫓の鯱瓦や鬼瓦、発掘調査の出土品などを展示し、尼崎城について紹介しています。この尼崎城展示コーナーを見学される方をご案内する際にいつも使うネタがあります。私が「尼崎城は実は日本一のお城なのですよ」とネタ振りをしますと、見学者から「日本一のお城は世界遺産の姫路城でしょう」という返しがあって、それに対して「いやいや、尼崎城は徹底的に潰されたという意味で日本一のお城なのです」というオチになるというものです。実際、尼崎城は櫓のひとつ、石垣のひとつも残さずに地上から完全に消え去ってしまった日本一徹底的に潰された城郭であり、文化財収蔵庫が所在する本丸跡にも江戸時代のものは何も残っていないのですが、正門から入ってすぐの植え込みの中央部に「尼崎城天守閣遺蹟」と刻まれた石碑が所在しています。なので文化財収蔵庫の来館者は当然、この石碑の位置に天守閣が建っていたと思うわけですが、この場所は尼崎城の内堀があった場所ですから天守閣が所在するはずがありません。ではなぜこの場所に天守閣跡の碑が所在しているのでしょうか。実は天守閣が明治初期に壊された後も、その跡には昭和初期まで天守山と呼ばれる小山が残っていました。しかし、その場所に尼崎高等女学校の鉄筋コンクリート造校舎(現在の文化財収蔵庫)が建つことになりましたので、天守山は少し北側に移設され、移設された天守山に1931(昭和6)年に設置されたのがこの天守閣跡の碑でした。その後、昭和30年代に移設天守山の場所にも別の校舎(現在の成良中学校琴城分校)が建ちましたので、結局、天守山は消滅し天守閣跡の碑は正門前の植え込みに移されました。このような経緯があり、内堀跡に天守閣跡の碑があるという奇妙なことになってしまったのでした。

収蔵庫の南にも注目! 文化財収蔵庫

文化財収蔵庫の南に所在する明城小学校には、国道43号線側道に面して「尼崎城跡」の石碑がありますので、そちらもぜひご観覧ください。9:00~17:30 4月からは土日祝も開館(月曜が休館に)入館無料●南城内10-2 TEL:06-6489-9801


桃谷和則
尼崎市教育委員会学芸員 文化財収蔵庫では11月8日から企画展「よみがえったはた織りの道具」を開催しています。