地車男子僕らがだんじりを曳く理由

写真と文/若狭健作

祭りが近づくと毎週のように地車小屋に集まり、地元の一台を念入りに手入れをする。すべては8月のその日のために。口数少ない屈強な男たちも、地車の前では少年になる。ピュアで一途な地車男子たちが語ってくれた。

新調したばかりの地車を前に記念撮影する西町の男子たち。笑顔で棒鼻を持つのが総責任者の森田浩光さん(写真左端)

現在、貴布禰地車に曳き手として関わる人々は800人いる。そのすべてが男性、という祭りの伝統は今でも守られている。2歳児から最年長は67歳まで。毎年の地車との関わりを通して男たちは成長していくのだという。

少年を大人へ変える青年会

少年を率いる若中頭たち。「若い子のいきいきした姿を見に来てほしい」。

「地の人間は物心ついた時から親に連れて行かれるもんです」というのは青年連合会長の秋田大さん(24)。16歳から25歳の若者をまとめるリーダーだ。各町の青年会長や副会長が情報交換をする連合会は、いわば幹部候補生たちの集まり。青年会は、山合わせでは主に後方を固める。「えらいやっちゃ」と浮かれて騒ぎまくる姿が印象的だが、青年会メンバーの言葉は落ち着いている。「僕らも中学生の頃は仲間と一緒にはしゃいでました。でも人の上に立つようになってからは、意識が変わりました」というのは御園町の青年会長を務める清治大記さん(21・左写真先頭)。まさに役が人を育てるというのだ。

新しい曳き手はどうやって増えているのだろう。聞けば毎年各町7~8人が加わり、ほぼ同じ数だけ抜けて行くそうだ。

「ただの祭り好きは1回やったら飽きてしまう。僕らは地車が好きだから続いている。代々受け継いできた1台は、だんじりの表情が違います」と清治さんは愛着を語ってくれた。

町を一つに。責任者の仕事

そんな地車を今年新調した町がある。「岸和田の工務店に半年間通ってようやく完成したんです。屋根の龍がかっこええでしょ」というのは、西町の総責任者を務める森田浩光さん(37)。22才で副責任者、31才からは町の総責任者を任されてきた。はじめたきっかけを聞くと「家の目の前が山合せ会場。そら、やるでしょ」と笑う、まさにだんじりエリートだ。6歳から曳いてきた地車の新調には感慨深いものがあるという。「岸和田に通うために仕事を1カ月も休んで大変だったけど、やり遂げたという思いはありますね」と振り返る。

ベテランが語る祭り今昔

「だんじりがなかったら顔あわすこともなかったなあ」という金田さん(写真左)と1年後輩の鍵田さん(右)

そんな現役の地車男子たちを見守るのは、貴布禰太皷地車保存会会長の金田徳秀さん(49)と顧問の鍵田智嗣さん(48)。「子どもの頃からお囃子の鐘の取り合いをした」という古い仲の二人は、この祭りを見続けてきた。「すぐどつきあいになるし、そらガラが悪かったなあ」と金田さんが昭和50年代を振り返る。

「そこらの道端でいきなり山合わせしたり、日本刀振り回すおっさんまでおった」とここでは書けないような壮絶な時代を知る証人だ。そんなイメージを払拭しようと、彼らは各地のだんじり祭りを見て歩いた。「大阪市内や泉州を回って祭りの運営方法や組織づくりを学んだんです」というのは鍵田さん。

各町が好きに曳くのではなく、保存会を作って全体の運営に取り組むようになった。今では各町の横のつながりや、全体で祭りを盛り上げようという機運が高まっているという。「血の気の多い方が好きって言う古いファンもおるけど、そこは時代の流れ。安心して見てもらえる方がええでしょ。とにかく僕らは自分の生まれ育った町の地車を見てもらいたいんですわ」。それぞれの年代で祭りでの役割は違うが、想いは一つでシンプルなのだった。