尼的観光地図(マップ) 第10回【大庄中通界隈】

尼崎南部を旅人気分で歩いてみた。

ボールパークの思い出ほろり 球場の町は今…

「昔、新庄や亀山が二軍やった頃はこの球場を使ってたんやけど、今はたまに少年野球をしてるくらいでほとんど使われてないねー」

阪神浜田球場での野球観戦に胸を躍らせ「大庄」に出向いたものの、野球をする気配どころかひと気もなく、覗くことさえできずグラウンド周辺をさまよう私に、町の人はそう教えてくれた。

阪神タイガースの二軍練習場として利用されていた浜田球場。当時は、選手が近所の食堂やクリーニング屋などに通ったり、練習後に球場から寮まで走って帰ったり…と賑わいをみせていた。

しかし「1995年に練習場が鳴尾浜に移転してからは、この辺りの雰囲気もさみしくなった」と思い出を語る町の人の表情はどこかさみしげ。野球場と町が互いに支え合っていた面影は今はない。

それでも、大庄の町は寛容である。統合され廃校となった大庄西中学校の跡地は、ヤギの飼育や青空図書館の広場として地域に開放され、移りゆく町の変化にも緩やかに順応する知恵を町の人は持っている。

「せっかく残ったグラウンドだから、今みたいな寂しい雰囲気じゃなくなればいいのに…」と町の人から優しく見守られる阪神浜田球場も、いつか地域に開かれた活気ある場所となってほしい。

1 阪神浜田球場
若虎たちが汗を流した球場も、現在は利用者がほとんどなく、物哀しさを漂わせる。
2 地域の名建築 大庄公民館
建築界の巨匠・村野藤吾の設計。暖かいタイルの素材感ときめ細やかな装飾が施され、重厚すぎず、かといって軽薄すぎない絶妙な外観が、地域に愛され続ける所以である。
3 武庫の浦にもかかる天の橋立
尼崎藩主に仕えた下川元全の三男坊で、日本の学問を近代化へと導いた契沖の歌が、口ノ開公園内の碑に。雄大な河口部の情景を彷彿とさせる歌で、武庫の浦に「掛ける」波と「架ける」天の橋立の掛詩である。
【アクセス】杭瀬駅から10分くらい

今回お話を聞いた人

霧島黒豚を取り扱う「くら」の店主・大倉豊二さんは、15歳から大庄に店を構え、移りゆく町の風景を見守り続けてきた。故郷の鹿児島の魅力を伝えるべく、物産や料理を提供する。

旅人が(独断で)つけた通信簿

人がすれ違うことのできない細い街路や、街路を抜けた先に現れる共有庭のような開放的な空間は、まるでヨーロッパの街並み!?


写真・文/でぐちひろこ
大阪工業大学工学部建築学科 趣味は独り相撲