南部再生第42号:もくじ
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「風呂上がり」という口実。

銭湯王国・尼崎をもっと楽しめる、「風呂上がりにちょっと一杯」なシチュエーションをめぐる。

 最初に思い浮かんだのは尼崎競艇場の隣。店名や銭湯の名前は知らなくても、「湯」と「町酒場」の組み合わせは知っているかもしれない。

 まずは風呂に入ることにする。決して順番を間違えてはいけない。東洋温泉は、こぢんまりとはしているが、見るからに清潔で、浴槽に背を向ける形でカランが一列に並ぶ。お湯はやや熱めか。汗を流してさっと出る、そんな入り方が似合う。

 脱衣所で常連らしきおっちゃんの会話を聞くとも無しに聞いていると、これから大庄の方にあるカラオケに行くのだという。「7時からやねん。時間余るから」。銭湯は生活のリズムをつくる場でもあるようだ。

 風呂から出て、すぐ隣の「かどや」へ。徒歩10秒で生ビール。なんというテンポの良さ。場所柄、この店には競艇ファンが集う。「行け!」とハッパをかける声や、ため息混じりの笑いを聞いていると、だんだん現実感というものがなくなってくる。あれこれの面倒ごとを忘れてただぼんやりするのに、これほど良い組み合わせはない。

 他にもないかとふと思い出したのが、大庄北中のすぐ西にある銭湯。確か近所に飲み屋さんがちょこちょことあったのではないか。行ってみると、あったあった。ちょうど目の前に立ち呑み屋がある。それも酒屋が店の隣でやっているというザ・トラディショナルだ。

 フォンテーヌ大庄はなかなか面白い造り。浴場の奥の階段で2階へ上がることができ、打たせ湯などがある。お湯は長湯もいける適温。ジェットバスも数種あったが、向かいのことを思い出すと気が急いてしまう。

 銭湯を出る時に気づいたのだが、「風呂上がり」という口実があると、ふだんはなかなか入れない酒場ののれんもすんなりとくぐれる。「風呂入ってさっぱりした後は、そらビール飲みたくなるよな」。見知らぬ顔でも、そんな風に許してもらえる。…という気がするだけなのだが。でも、尼崎のような下町で、この気持ちのアドバンテージはデカい。コの字カウンターでも、「お、今からか?」があいさつ代わりになっている。よく見るとカウンターの向こう側の角刈りのおっちゃんは、さっき洗い場で隣の隣にいた人だった。洗面器は黄色と黒の虎柄。どこに売っているのか。

 もう一軒(というかもう一組)、杭瀬北新町にある栄町温泉を思い出した。商店街の中にあるここは、銭湯好きの間ではけっこう知られている。人呼んで「人間洗濯機」、超音波ウルトラバスというぐるぐると回りながら入るアトラクションのような風呂があるのだ。なんでも医療器具として研究開発されたもので、日本でも数少ないレアものらしい。とはいえそれ以外はスタンダードで、清潔で気持ちの良い、地元の人のための銭湯だ。

 せっかくだからと、超音波の風呂でひとしきり回ってみた後で、商店街を歩く。銭湯に行くと地元の人になったような気がする。アーケードの下に灯る提灯に惹かれて入った店では、案の定、先客から縁談を持ちかけられた。なるほど、銭湯は街の新しい入口なのかもしれない。「いや、実はよそもんなんですけど…」というちょっとした後ろめたさもありつつ。

入浴・文/大迫力(140B)

街を歩けば銭湯だらけ 尼崎に銭湯はいくつあったのか?

 市内に銭湯は一体いくつあったのか。県浴場組合の名簿を元に過去の数字を拾ってみた。最も古い名簿が昭和17年のもので、尼崎支部には85軒が名前を連ねていた。その後戦争により、昭和21年には56軒にまで減ったが、わずか10年で87軒にまで回復し驚異的な「戦後復興」を遂げたのだった。さらに人口急増に伴い、昭和45年にはおよそ2倍の162軒に。その数は現在市内にあるコンビニの数(130軒)をはるかに上回る。この時代をピークに、その後はオイルショック、阪神大震災と銭湯を取り巻く環境は厳しく、じわじわと減少を続け、現在は56軒に。

 下の分布図からも分かる通り、JRよりも南の地域に集まっているのも特徴だ。「労働者の街」として発展した尼崎で、銭湯はまさに庶民の暮らしを支えてきたのだった。往時の「銭湯王国」ぶりはかげりをみせるものの、現在県全域で162軒ある銭湯のおよそ3分の1を占めているというのも、時代を越えて愛され続ける尼の銭湯のたくましさを証明しているではないか。