写真とかたる 1948 水堂町 境内にあった幼稚園の思い出

尼崎で撮った昔の写真を見て、当時の思い出を語ってもらいます。ご本人が写っている懐かしのスナップをお寄せください。

「石灯篭の陰で輪に入れず恥ずかしそうに立っている子がいるでしょ。それがボクなんですよ」というのは水堂須佐男神社の宮司上村武男さん。先代宮司の父が、母と一緒に終戦間もなく、神社の境内に開いた保育所「水堂愛育園」に通った思い出の一枚だ。

水堂町の周りには田んぼが広がり、国鉄の線路も何だかのどか。おかっぱ頭、下駄履きの子どもたちが、若い先生を囲んで「かごめかごめ」を楽しんでいる。

毎日、拝殿前で二礼二拍手一礼から始まる朝礼。お誕生日月が来た園児は「お誕生奉納祭」として神前で祝詞をあげてもらったり、秋祭りには神輿を担いだり、神社ならではの行事も多かったと上村さんは保育所の思い出を振り返る。その雰囲気は、昭和28年に「水堂幼稚園」となってからも変わらなかった。

大学を卒業して神社に戻った上村さんは、幼稚園の仕事を手伝うようになる。「小さな園だったから、ボクが給食を作ったり、送迎バスの運転手もしたよ」と上村さん。

平成8年、園児数が少なくなり、閉園を決めた時は園長を務めていた。「センチメンタルな性格なんで、閉園してしばらくは子どもたちの声が聞こえない境内をずいぶん寂しく感じたね…」。閉園後すぐに資料や写真をまとめた「水堂幼稚園五十年誌」を自身で発行。そこには、各年度の集合写真や卒園名簿も添えられている。巣立った園児は2298人。久しぶりにめくる五十年誌を前に、卒園生で最後の園長だった上村さんの思い出は蘇るのだった。

今回のご提供は…上村武男さん

1943年尼崎市生まれ。水堂須佐男神社宮司。郷土史や神社に関する著書は30冊を超える


取材・文 香山明子