市長というオシゴト

改革だ、リコールだ、選挙だ…と、全国で注目を集める首長(自治体の長)の動き。尼崎でも昨年末に市長が交代した。でも市長って、いったいどんな仕事なんだろう。前市長の白井文さん、そのあたり教えてください。

勢いで飛び込んだ

白井文(しらい あや)
1960年尼崎市生まれ。航空会社の客室乗務員や人材育成コンサルタントを経て、1993年から尼崎市議。2002年に市長選に出馬、現職を破り、兵庫県内2人目の女性市長となる。2010年11月の市長選挙には出ず、同12月で任期満了。現在も尼崎市在住。

「市長を退任すると決めた時は、辞めたらノビノビできると楽しみでした。毎日とにかく忙しくて、怒ったり泣いたり、悔しいこともたくさんあって。でも不思議なもので、いまはちょっと寂しさを感じてますね。振り返れば、これまでの自分の人生で最も輝いた8年間だったなあって」

2002年から尼崎市長を2期8年務めた白井文さん(50)。その話しぶりはサバサバとして親しみやすく、市会議員時代と合わせて16年も「政治家」をやっていたとは思えないほど、ふつうだった。でも、「ふつうの人」に市長が務まるんだろうか。そもそも、なんでそんな重責を背負おうなんて思ったんだろう。

「いいカッコするわけじゃないけど、権力欲や名誉欲、たくさんの人を動かす優越感とかは全然なかった。市議になったの は(1992年に発覚した市議会ぐるみの不正出張に対する)怒りが原動力だったんですけどそれに似た前市政への違和感というか、『役所と議会だけが動かしている市政を、市民の手に取り戻したい』という思いはありましたね」

当時42歳。市議の任期を終え、前職の人材育成コンサルタント業に戻っていた。そこへ市議時代の仲間や知人から起こった待望論。同じ頃に離婚が成立、子供がいなかったことも決断の一因になったという。

「市の財政事情は良くないし、人口も減る一方。しんどい状況でリスクも大きいけど、誰かがやらなきゃいけない仕事でしょ。それなら、失うものが少ない私は候補の一人かな、と。市長という仕事がどういうものか具体的にわかってなかったから、勢いで飛び込めたというのもありますね(笑)」

民間人市長の意義

市議を8年やったとはいえ、市民派の無所属議員。市役所のトップに就くのは敵地に単身乗り込むような心境だった。

「職員に政策説明を受けたり、決裁を求められても、『私をダマしてるでしょ』『取り込まれへんわよ』と、常に戦闘モードでした(笑)」。

それが少し変わったのは、就任後初の市議会本会議。議員の質問は事前に通告を受けるのが通例だが、新市長への反発か、最大会派からは何も知らされない。準備もできないまま議場に立つことになったのだが…。

「職員が密かに対策を立てていたんです。別室にコピー機を運び、20人ほどが詰めて、議員の質問を書き取る人、答弁を考える人、文章に起こす人、それを持って議場に走る人…と。おかげで初の市議会を無事乗り切れた。白井の頭文字から『プロジェクトS』と呼ばれてたそうです(笑)。その時に思ったんです。この人たちと敵対ばかりしていても何も生まれない。街のために彼らの能力を活かすことを考えるべきだって」

首長は二つの顔を持っている。「政治家」と「行政の長」と。橋下徹・大阪府知事のようなパフォーマンス型の首長は政治家色が濃いが、白井さんは「行政組織をいかに改善し、円滑に動かすかという意識の方が強かった」と語る。

「もちろん優秀な人も多いんですけど、市役所は公務員だけの世界。同じ価値観・風土の中で長年過ごしているから、役所の論理がまかり通る。橋下知事の『大阪都構想』に私は反対ですけど、あれぐらい強権的にやらないと変わらないという気持ちも分かる。役所の常識に『なんで?』と疑問を挟むだけでも、民間人がトップにいる意義は大きいと思いますね」

精神力と忍耐力の勝負

相手は役所や議会だけじゃない。時に手厳しく、時に無責任な批判を投げかけるマスメディア。尼崎の活気と税収を支える企業や工場。それに何よりも一般の市民。記者会見や企業訪問、90回におよぶタウンミーティングなどでそれぞれに向き合い、工場誘致や環境改善、財政再建、街の魅力づくりなどに最善を尽くしてきたつもりだが、理解されないことも多い。市政への不満の矢面に立つのは市長の宿命。ましてや、白井さんは尼崎で初の女性、しかも最年少の市長だった。

「途中で投げ出せば、女だから、若いから、行政経験がないから…って、私個人の能力とは関係ないところで言われるでしょ。市長に必要なのは何より精神力と忍耐力。そのしんどさを(白井さんの選挙スタッフとして)横で見ていて、十分わかっていながら市長になった稲村(和美・現市長)さんはすごいですよ」

経験活かす仕事を

で、問題は今後だ。白井さんはまだ50歳。これからどう生きるか、どう経験を活かすかが、政治家を志す人たちの裾野を広げ、道しるべになると考えている。

「これまで首長といえば、ほとんどが役人出身か、根っから政治家の人だったでしょ。退任後は国政に出るか、もう“上がり”で引退するか。でも、最近は民間出身の若い首長がどんどん出てきた。私も3000人以上の職員がいる都市のトップをやらせてもらった。この貴重な経験を活かして、街や人・組織づくりに果たせる役割ってあると思うんです。いまは何も決まってませんが、自分でそれを探していこうと思います」

白井前市長の通信簿

「市長のオシゴト」を市民約20人が点検した。対象は2006年選挙のマニフェスト25項目。あなたはどう見る?

A1…目標達成/A2…概ね達成/A3…進んでいるが達成に至らず
B1…あまり進捗なし/B2…全く進捗なし

マニフェスト進捗表

(マニフェスト点検市民会議の報告書より抜粋)


取材・文 松本創