尼崎コレクションvol.09《尼崎ダンスホールの手水鉢(ちょうずばち)》

尼崎市内に現存している逸品を専門家が徹底解説。あまりお目にかかれない貴重なお宝が歴史を物語る。

ダンサーが捧げた願い

[作品のみどころ] 手水鉢は現在、尼崎市立文化財収蔵庫に常設展示しています。

阪神電鉄尼崎駅の北側にバスターミナルがあり、そのさらに北側に大きなコイン式駐車場があります。この場所は今から10年くらい前まではうっそうと樹木が生い茂り、そのなかにひっそりと某会社の事務所がありました。当時はこの場所に立つと駅前の喧騒から離れ、まるでタイムスリップしたかのような感覚を覚えましたが、それもそのはず、この事務所の建物は1929(昭和4)年に尼崎ダンスホールとして建てられた建物だったのです。1926(昭和元)年に阪神国道(現在の国道2号線)が開通すると、大阪ではダンスホールの設置が許可されなかったこともあり、大阪から車を走らせればすぐの場所にある小田村と尼崎市の国道沿線にダンスホールが次々に4か所も設置されました。夜にはネオンが煌めき、生のバンド演奏をバックに客が女性ダンサーと社交ダンスを楽しんだダンスホールは、とてもモダンでハイカラな社交場であったことでしょう。

雑誌『ザ・モダンダンス』に掲載された広告

明治後期から昭和初期にかけて、私鉄の開通や沿線の宅地開発、西洋文化の普及などを背景に、阪神間ではモダンな文化が花開き、近代的な生活様式が発達しました。これを一般に「阪神間モダニズム」と言います。尼崎は工業都市のイメージが強いために「阪神間モダニズム」から除外される傾向がありますが、このダンスホールに代表されるように、尼崎も「阪神間モダニズム」の一翼を担っていました。

さて、写真の手水鉢は、表面には「奉納」、裏面には「昭和十一年一月 ダンサー一同」との文字が刻まれています。これは、尼崎ダンスホールの敷地内に所在した稲荷神社にダンサー達が奉納したもので、元尼崎ダンスホールの建物が1999(平成11)年秋に取り壊された際に、筆者が交渉して尼崎市に寄贈していただきました。尼崎に所在したダンスホールに関して、地元に現存している唯一の歴史の証人と言えるでしょう。

「尼崎モダニズム展」開催

尼崎に所在したダンスホールや阪急電鉄神戸線沿線の郊外型住宅地開発など、尼崎のモダニズムを紹介する初めての展覧会である「尼崎モダニズム」展が10月9日(土)から11月14日(日)まで、尼崎市東桜木町の尼信博物館3階展示室で開催されます。


桃谷和則
尼崎市教育委員会学芸員 久しぶりに学芸員らしく展覧会を企画しました。小さな展覧会ですがぜひ、ご観覧ください。