神主のぶらり街歩き

連載第14回 銭湯へぶらり

「パパ、すぐ近くの銭湯、“こまの湯”って名前に変えたの?」と、子どもが聞いてきた。近所に「玉乃湯」はあるけれど、「こまの湯」は聞いたことがないなあと思いぶらりした。

昔、お風呂の無い家が多かったこの地域。当社の近辺だけで30軒以上もあった銭湯は、一日の疲れを癒す場であり、また井戸端会議ならぬ風呂中会議の場でもあった。玉乃湯さんは店主の粋な計らいで当社の夏祭りに「祭り関係者無料」としていただいていたので、私も子どもの頃、お手伝いに来られていた神主さんとよくお邪魔した。もちろん、風呂上がりはラムネかフルーツ牛乳で締め。夜店と並んで、夏祭りの楽しみな時間であった。

そんな玉乃湯さんが名称変更かと思いきや、店先の看板「たまの湯」の「た」の文字から「ナ」が無くなっていて、「こ」だけが残った状態であったことがわかり一安心。中の様子も知りたくなって約20年ぶりにのれんをくぐった。

まずお金を払おうとすると、男女脱衣所を見渡せる番台が無くなっていて、正面の受付でお金を払い男女が別れて入る様式に変わっていた。入浴料は大人360円で洗髪料は0円。この洗髪料とは髪の毛を洗う場合支払わなければならないお金。お湯をたくさん使用するから発生する料金なのだが、現在はマクドナルドのスマイル同様、0円のようだ。

一方変わっていないのが、浴槽や洗い場。子どもの頃入ることが出来なかった「電気風呂」にも40歳にして初めて入る事が出来た。また洗い場では、今でもお湯レバーと水レバーが健在。レバーで必要な熱さと湯量を調整し洗面器にお湯をためる方式だ。無駄なお湯を流し続けることのない今で言う「エコ」。シャワーに慣れている私にとって洗髪時に不便かな、と思ったが、洗面器2杯で流せる程の髪の毛の量になっていたことが悔しかった。

この地域では、震災などでかつての半数以下の12軒にまで減ってしまった銭湯。生活様式も変化し経営も大変だろうが、“歩いていける大きなお風呂”が近所にいつまでもあることを願うばかりだ。


江田 政亮 えだ まさすけ
だんじり祭り、地域寄席…いつでも尼崎人にオープンな南部のお社きふねさん(貴布禰神社)第17代宮司。「国道43号線にだんじりを走らせたい」と南部再生への想いは日々強まる。