尼崎コレクションvol.07《尼崎城堀浚願図(ほりさらいねがいず)》

尼崎市内に現存している逸品を専門家が徹底解説。あまりお目にかかれない貴重なお宝が歴史を物語る。

幕府も認めた精緻な図面

[作品のみどころ] 尼崎藩が尼崎城の堀に溜まった士砂を取り除くため、堀浚え普請を幕府に願い出た際の図面。

江戸時代といえば、まず「天守閣のそびえ立つお城」をイメージする方も多いのではないだろうか。

しかし、実際は「一国一城令」以後、多くの城は壊されて、江戸時代の城数は戦国時代の20 分の1 にまで激減した。また、広島藩主福島正則が幕府に無届けで城の修築を行って改易されたように、新規の築城が禁止されていたのは勿論、城の修復、改築にも幕府は厳しい監視の目を光らせていたわけである。

この「尼崎城堀浚願図」は、尼崎藩が尼崎城の堀に溜まった士砂を取り除くため、堀浚え普請を幕府に願い出た際の図面で、土砂が溜まった箇所が黄色で示されている。普請の許認可は老中の権限であるが、許認可にいたるまでに祐筆による「用覧」、老中による「伺い」などを経てようやく正式な「本願」提出となる。その間、さまざまな控え図が作られては添削が加えられるが、この絵図には享保元年(1716)9 月18 日の日付とともに、第6 代尼崎藩主松平忠喬の花押が据えられていることから、正式な幕府への提出図、あるいは提出図に近い原図であると考えられている。幕府に提出するものであるので絵図に間違いや虚偽があってはならず、城の描写は石垣や天守閣の破風まで大変丁寧に、かつ正確に描かれている。今は全く見ることのできない尼崎城であるが、幕府の厳しいチェックのお蔭で、普請の様子が分かるだけでなく、当時の尼崎城の正確な姿を知ることが出来るのである。

ところで、この尼崎城の堀浚え普請は、享保10年(1725)、16年(1731)、19年(1734)の3 回、のべ1万人以上もの人足が尼崎藩領内から集めて行われた。実に出願から20 年もの歳月をかけて施工された大工事でもあった。

城コーナーも充実の展示室
文化財収蔵庫

尼崎城と城下町に関する資料が見学できる収蔵庫の開館は月曜日から金曜日の9時から17時30分。

入館無料・予約不要●南城内10-2 tel:06-6489-9801


室谷公一(むろたにこういち)
尼崎市教育委員会学芸員 今はまっているもの「シャーペン集め」(地味すぎですか?)