フード風土 26軒目 田のうえ

よそ行きの「グルメ」じゃない、生活密着の「食いもん」を探して、アマを歩く。

甘い記憶宿る下町皿うどん

ご飯と味噌汁がつくボリューム満点の定食は780円

「甘い」の語源は「うまい」で、かつてはほぼ同義だったそうだけど、そんな言葉の来歴と味覚の深遠を「なるほど」と実感させられる尼崎の逸品がある。中央商店街の一本裏筋の食堂[田のうえ]。かつ丼で有名な店だが、界隈の商店主たちの静かな人気を集めるのが皿焼うどん(650円)。昨年の「メイドインアマガサキコンペ」で特別賞を受けた。

皿うどんといっても長崎中華風とはまったく別物。店主の伊藤恒さん(69)が考案したオリジナル和風メニューである。ベースとなるのは、開店時の32年前から、たまり醤油やみりんを日々煮詰め、継ぎ足してきた「かえし」と呼ぶ特製調味料。舐めさせてもらうと、この時点で既にほのかに甘いのだが、カツオの白だしで割り、さらに天かすをたっぷり加えることで、自然な甘みとトロミがうどんに絡まる。

「修業時代に勤めた店に、やはり和風の皿うどんがありましてね。僕はそこに天かすを入れ、まろやかにして食べるのが好きだった。それで思いついたんです」

実は、「甘み」と伊藤さんの縁は深い。若い頃には和菓子屋でもなかの餡をひたすら詰めていたし、三和商店街にあったレストラン[マルカ]でホットケーキを焼いたり、豪勢なパフェを盛り付けたりしていたこともある。長年一緒に店に立つ奥さんの真須子さん(63)と出会ったのがこのマルカ時代というのも、甘いエピソードの一つだろうか。洋食の名店や洒落たレストランがたくさんあった、かつての尼崎を伊藤さんは懐かしそうに語ってくれた。

「食べ物の思い出って、人生の物語の節目になるでしょう。ロマンというか。街の人にお腹いっぱい食べてもらって、この店の味を時々思い出してもらえればうれしい」

山盛りの焼うどんに、豚肉やイカ、カマボコにノリなどがいっぱい入った下町の一皿。「うまい」と「甘い」の境界にある味わいの源には、街への愛と夫婦の甘い記憶が宿っているのである。■松本創


2009年3月末に惜しまれながら閉店しました