サイハッケン かつて立花に巨大な若者寮があった。

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建物は90mもの長さがあり、外観からは一時代前を感じさせる風格が漂う。

山幹通りに面して、昭和の香り漂う大きな灰色の建物がある。ここにかつて500人もの若者が暮らしていた、と聞いた。その名も「尼崎勤労青少年寮」。高度経済成長期、九州や沖縄から職を求めて尼崎にやって来た若者が、初めて故郷を離れて暮らす場所だったという。

真っ直ぐ伸びた廊下の左右に並ぶ寮室。

完成は昭和38年。人手不足で地方の若者は「金の卵」と重宝された時代。県内では、尼崎、神戸、姫路といった寮を持たない中小企業が多い都市で、自治体などがこうした寮を整備した。

「入居の条件は、15歳から25歳まで単身の男性のみ。寮費は6千円。125室あった4人部屋も開設当時は満室でした」と振り返る富岡英夫さん(61)。市職員として、長く寮の管理に携わった。

入居する寮生たちに、たっぷり1時間半かけて生活の心構えや人生設計を説いたことも。「10年以上寮にいた子や、寮を出てすぐに家を建てた倹約家もいましたね」と目を細める。富岡さんは、若者たちにとって親代わりでもあったのだ。

室内には今も造り付けの2段ベットが当時のまま据えられている。

寮では、ソフトボール大会や食事会といった親睦行事も頻繁に開かれた。共同生活の不自由さもあっただろうが、遠く故郷を離れた若者たちにとって、ここで寝食を共にした仲間の存在は心強かったことだろう。

時代の変化とともに入居希望者は減り、寮は平成11年3月に閉鎖された。現在は、一部が市立青少年センターの会議室や倉庫として使われるのみだ。

富岡さんのもとへは今も、元寮生が訪ねて来る。「子どもが生まれたとか、近況や昔話をしながら飲むのが楽しみ」という。

2段ベッドで過ごした青春は、彼らにとって今も忘れられない思い出。古びた建物は、高度成長に湧いた尼崎の遺産として、ひっそりとこの町にたたずんでいる。 ■香山明子


尼崎勤労青少年寮

普段は入れないが、今回は特別に寮室を見学させてもらった。「こども科学ホール」は当時は講堂の建物。●栗山町2-25-1