マチノモノサシ no.1 減り続ける市人口

尼崎にまつわる「数」を掘り下げ、「まち」を考えてみる。

1日でマイナス7人

尼崎市の人口はこの35年間、長期低落傾向だ。1971年に55万4千人を数えた阪神工業地帯の中核都市も2006年は46万2千人に。昨年は西宮に抜かれ、兵庫県内4位となった。

でも―――

「人が減ってるなあ」って感じることあります?人口が減るといったい何が困るんだろう。

「賃貸や分譲といった不動産の取引件数が圧倒的に減ってます」というのはJR尼崎駅近くで約50年営業している不動産業者。高度成長期には転入だけでなく、転出も含めた人口の流動が激しかったという。

「配達に回ると、家の数が目に見えて減っているのが分かります。空き地や駐車場が増える一方です」とは、杭瀬地区のインテリア店店主。「昔は企業の従業員寮や文化住宅がいっぱいあったけどねえ」。

実は、市域を3地区ずつ南北に分けたとき、北部(立花、武庫、園田)は35年間で7.3%増加している。かたや南部(中央、小田、大庄)は38.1%の減。北部でも立花地区は減少傾向にあるものの、「尼崎の人口減少」なるものは圧倒的に南部に集中している。

その南部を走る阪神電鉄。「沿線に人がいてこその鉄道事業。そりゃあ影響は大きいです」。市内に6つある駅の乗降客数はどこも91年がピーク。南部のターミナル、尼崎駅は1日に6万8千人が利用していた。それが04年は4万5千人。特急停車駅になった01年にやや持ち直したものの、最盛期の66%だ。杭瀬駅にいたっては半数以下、1万人強まで落ち込んだ。「3年後の西大阪線延伸で、近鉄難波駅と結ばれれば人の流れも変わると期待しているんですが」。

人口減少の影響をさまざまな立場の人に聞いて最も多かったのが「学校がなくなる」という答え。南部では現実に次々と統廃合話が持ち上がっている。

1昨年に廃校となった明倫中。地域住民は当初、校舎の貸館利用やサッカー場整備を求めたが、話し合いの末、「住民を増やすのが先決」と住宅建設用地に充てることになった。自治会活動の担い手がいなくなり、地域の活気が失われることを案じる声が強くなったのだ。

でも、誰よりも深刻に受け止めているのは市役所だろう。「国から交付される地方税額は人口で決まります。概算で1人当たり10万円の計算なので、100人減ると税収は1000万円減ということになる」と都市政策課。人口規模は行政計画の基礎になる。住宅も学校も交通網も上下水道も福祉も。見込みが外れればすべての予定が狂う。それは分かる。

でも―――

人口が減るってそんなに困ったことなんだろうか。減るなら減るで、まちの規模に合った行政サービスや暮らし方ってないのだろうか。

尼崎市は2010年の人口を42万人台と予測している。■尼崎南部再生研究室

1日7人? [算定方法]

人口ピーク時の1971年から2006年までの人口減少数を日割り計算
(554,155-462,103)人÷(35年間×365日)=7.2人
ちなみに1990年~2005年の15年間を見ても1日あたり7.1人が減少している計算に。