論:尼崎の“南北問題”を、面白がれないことこそが問題だ。 大迫 力

南は下町、北はハイソ。

「なんや、エラいお洒落さんになってもうて」。6年ほど前だろうか、正月に親戚で集まった時、尼崎の南部に住んでいた伯父は、僕が大学への通学に阪急電車を使っていると聞くと、そう言った。

尼崎市民ならば誰もが実感できるだろうが、市内でも武庫之荘や塚口など阪急沿線は芦屋や神戸に通じるハイソで山手な雰囲気、阪神沿線はベタな下町で、両者は互いに何となく敬遠し合っている。伯父はきっと、阪急なんて「お洒落でイケすかん」と思ったのだろうが、他の街の人間からすれば「何もそこまで」である。というか、問題にすら上らないだろう。が、「いや別に安いから乗ってるだけやし」と、必死になって否定していた僕自身も、そのとき既にこの”風土病“(註1)を患っていたのだと、今にしてみれば思う。

とは言え、「南(浜手)=下町・北(山手)=ハイソ」という図式が阪神間においてはどこの街にも当てはまるということは、街歩きが仕事の僕でなくとも分かる人は多いはずだ。ではなぜ尼崎ではかくも色濃いのだろうか?

平野を鉄道が横断する特性。

一つに、まず地理的な問題がある。大阪平野に属する(註2)尼崎は、以西の市がそうであるように六甲山系が迫ってきていない。例えば御影などは、阪神御影駅のすぐ北側ですらデザインマンションの並ぶ坂道になっているように、山手と浜手は連続していると言っても過言ではない。だから駅前の串カツ屋台には、LEONなピンスト・オヤジとジャージ×突っ掛けなおっちゃんが隣り合っていて、それはものすごく「御影的」な光景だ。しかし、尼崎の場合は平野であるがゆえに、下町からハイソへと街の様子が変わっていくそのグラデーションがはっきりと感じられるのである。

加えて、そこを阪神・JR・阪急という3本の鉄道が横断している。(註3)当然、東西の移動の方が便利になるため、南北の人の流れは必然的に乏しくなる。文化の異なる3つのムラがある、とは言い過ぎだが、武庫之荘出身・在住のカメラマンの「ちっちゃい頃、2号線より南は“アウェー”な気がしてました」という言葉はあまりに象徴的だ。

また、湾岸の工業地帯や商店街などガチャガチャしたイメージが強いせいか、阪急沿線住民は住所を聞かれると「尼崎です」とは言わない(武庫之荘とか塚口とか言う)。そしてそんな北部市民を、南部市民は「けっ、大して変わらんクセに」と煙たがるのだ。これをして、筆者は尼崎の“南北問題”と呼んでいる(て、たいそうやな)。

平野を鉄道が横断する特性。

なんとも事態は深刻化してきたようだが(してきてないけど)、僕としては、それが何か問題でも? という感じである。常々いろいろなところで書いたり喋ったりしていることだが、尼崎の面白さはそんな異なる雰囲気の連続性にある。つぶさに見れば、ハイソな武庫之荘にも商店街はあるしトラットリアの前にママチャリが止まっていて、阪神尼崎だって商店街と風俗街だけじゃなく、地続きに旧いお寺の集まる一画があったかと思えばその先には工場の煙突が霞む…という具合で、ハイソと下町の同居を核とする「ひと括りにできない」ことこそが、尼崎の街の持つ何よりのキャラクターなのだ。これだけアクの強い市は、京阪神でもそうそうない。これを面白がれないなんて、なんともったいない話だろう。

確かに尼崎のイメージはあんまり良くないのかも知れない。だが、この仕事をしていて痛感するのは、たとえ悪いにせよ「イメージがある」ということがどれほど幸せか、ということだ。(註4)「そんなものは自虐だ」と憤慨されるだろうか? そうかも知れない。けれど、住んでいる人間が面白いと思えない街を、誰も面白がってはくれないのである。

(註1)その最たる例は後述する「どこ住んでるん?」と訊かれてどう答えるか、というもの。そう言えば、以前「探偵ナイトスクープ」にて「尼崎の人は住所を尋ねられると『アマですわ』と答えるので試してみて下さい」という依頼があり、見事にそうなっていたが、あれはロケ地が阪神尼崎駅前だったから成り立ったのだろう。他に、「尼崎でプールと言えば?」と質問した場合、阪急沿線住民は「市民プール?」などと答えるが、阪神沿線住民は「センタープール!」と即答してしまうなどの症例がある。

(註2)地理的にだけではなくアイデンティティにおいても大阪に対しては帰属意識が強く、その大きな原因となっているのは市外局番が同じ「06」であるという点。大阪は「市外」ではないんである。それでもクルマのナンバーは「神戸」であり、ちゅーとはんぱやな~(@ちゃらんぽらん・尼崎出身)だが、天気予報はまず間違いなく大阪の方を見ている。

(註3)阪神沿線がソースでボートで立ち呑みで商店街であり、阪急沿線がカフェでイタリアンで女性誌なエリアであることはご存じの通り。ではJR沿線はと言うと、尼崎・立花の両駅共に、ここ10年で一気に開発が進み駅前商業施設や高層マンションがばんばんできた。建て売りの小ぎれいな一戸建ても多く店も出来ているが、鉄板焼き・焼鳥・居酒屋などベタな店ばかり。まさしく両者の中間的な街の様子で、街とはかくもうまいことなってるんやと驚くばかり。

(註4)「尼崎の北にあるI丹市ってどんな街?」と訊かれたら、あなたは何と答えますか? ていうか答えられますか?筆者は自信なし。つまり、そういうことです。


大迫 力●おおさこ ちから
気合を入れたい時には洋食屋でポークチャップ、リラックスには銭湯へ、という下町原理主義。が、「街と寝る」を標榜する雑誌『Meets Regional』では、新店ページを担当することになり、ちょっとムズがゆい。1980年、尼崎出屋敷生まれ。現在は立花在住。「市会議員になるんやろ」が編集部内でのもっぱらのウワサ(ならへんけど)。