論:アスベスト禍の衝撃 第2の「尼崎公害」 加藤 正文

潜伏40年。だれもが被害と隣り合わせにある

尼崎市のクボタ旧神崎工場(JR尼崎駅近く)で元従業員ら約80人がアスベスト(石綿)による中皮腫などで死亡、周辺住民にも被害が出ていることが、2005年6月末に明らかになりました。この「クボタショック」をきっかけに全国の企業で次々と被害が確認されました。今後40年間で10万人以上が亡くなると予測され、史上最悪の産業災害になるのは確実です。問題の端緒となった尼崎にとっては、長く苦しんだ「尼崎公害訴訟」に続く第2の公害問題になっています。

「静かな時限爆弾」

石綿は天然の繊維状の鉱物です。優れた耐久・耐火性、断熱性、絶縁性で建材や断熱材、水道管などに幅広く使われました。怖いのは、髪の毛の5千分の1ほどの微細な繊維が肺の奥深くに突き刺さると、中皮腫や肺がんの原因になることです。中皮腫は現代の医学では根治的な治療法はありません。潜伏期間は十数年から40年。「静かな時限爆弾」に例えられます。

クボタは1957年から75年まで、毒性の強い青石綿を大量に使って水道管などのパイプを製造。その後も95年まで白石綿で建材を作っていました。従業員の間で最初に犠牲者が出たのは78年。年を追うごとに増え、今では工程に従事した人の半分が発症し、4分の1が死亡という恐るべき労働災害になっています。

世界保健機関(WHO)や国際労働機関(ILO)が発がん性を指摘したのは70年代初め。日本が毒性の強い青石綿を禁止したのは4半世紀後の95年。白石綿の禁止に至っては04年秋のことです。決定的な遅れといえましょう。クボタが青石綿を使った時代は危険性が十分に知らされておらず、従業員は粉じんが充満する中で働いていたのです。

死の分布

奈良県立医大の車谷典男教授(疫学)が、中皮腫による死者で職業上吸引したと考えにくい人の居住地を調べたところ、工場に近いほど発症しやすい傾向が分かりました。半径500メートル圏内の住民が死亡する危険性は全国平均の11.7倍。「工場からの飛散が周辺被害の原因と考えられる」といいます。

クボタの南にあるヤンマー尼崎工場では5人が死亡。クボタからの飛散がささやかれていましたが、05年10月、決定的となりました。建物の窓枠にこびりついていたほこりに青石綿が含まれていたのです。ヤンマーでは青の使用歴はありません。クボタが認めようとしない因果関係が、次第に見えてきました。

救済新法

クボタの工場近くで生まれ育った女性(57)に会いました。伊丹市でたこ焼き店を営んでいましたが、04年5月、せきや熱のため病院で検査したところ、「悪性胸膜中皮腫」の診断。10月に片肺を摘出し抗がん剤治療を続けています。「何でこんな病気にならなあかんの」。やり場のない悔しさに胸を突かれました。

労災の対象にならない住民や家族を救済するため、国は新法をつくり、年明けの国会に提案します。患者らは「せめて労災並みの補償を」と要望していますが、素案は被害者の要望とかけ離れた内容でした。

小池環境相は決して「公害」と認めようとしません。労災並みに生活補償する公害健康被害補償法の適用を避ける意図が透けてみえます。有害物質を生産活動で使った企業。防止対策を怠った国。公害以外の何物でもありません。

実は筆者も工場から南1キロほどのところで育ちました。青石綿を使っていたころです。いつか突然、病に襲われることもありうると自覚しています。日本では規制の決定的な遅れから、だれもが被害と隣り合わせ。神戸では阪神・淡路大震災時のビル解体やがれき処理も心配です。


私たちは「あまけん」の活動を通じて、尼崎南部の潜在資源を発掘し、再生の道筋を探ろうと努力してきました。

その足元で石綿禍という第2の公害問題に直面しています。あまけんが5周年を迎える今、それぞれが「南部再生」のために何をできるかを考えるときに来ているのではないでしょうか。


加藤 正文●かとう まさふみ
1964年生まれ。尼崎・杭瀬で育つ。大阪市大卒。現在、神戸新聞編集委員