まつり

国道43号線通行止め!?

私が貴布禰神社の宮司を拝命してから約11年が経った。24歳の時、地域のこと、神社のことなど何も知らないままに父の跡を継いだのだが、仕事柄か11年の間に様々なことを学ぶ機会に多く恵まれた。そんな中、何とか自分の生きている間に実現したい”夢”が芽生えてきたのだ。その夢とは国道43号線を一部区間通行止めにして、「お渡り」を復活することである。

なぜ、通行止めにしたいのか。その理由は2つある。まず一つ目は、大変便利な町でありながら、年々人口が減っていく尼崎南部で、かつて地域住民を巻き込んで盛大に行われ、地域の自慢でもあった陸渡御を復活するためだ。その復活に花を添えるのはかつての道を渡御すること。道路脇にある歩道を細々と行列するなんて”復活”というビッグニュースにはそぐわない。

そしてもう一つの理由は地域住民のため、特にかつての住民のためにだ。時々神社を参拝される方が、風景を懐かしみながら話しかけてこられる。「昔、43号線ができるまではここに暮らしていたんですよ。懐かしいわぁ~」。ちょっと待てよ。ひょっとしてこの人、43号線のせいでかつて自分が暮らしていた家があった場所に立つことすらできないんかな?と思ったからだ。

こんな夢プランをことある毎に披露していく内に、地域の人や様々な団体から「面白いやん、手伝うで!!」という声も上がりだした。警察からは「絶対無理です」と”却下の太鼓判”を押されているが、昔を懐かしむ人、地域活性化を望む人などの力を結集できれば不可能でもないかなと思い出している。

「あの国道43号線が通行止めに!!地域住民の懐古パワー炸裂!尼崎によみがえった『お渡り』で町が一体に!!」って素敵じゃないですか?

こんな見出しが新聞におどり、テレビは「43号線通行止め」のニュースであふれることを”夢”見て、日々の神明奉仕に努めることにしよう。


貴布禰神社宮司 江田 政亮 えだ まさすけ
昭和44年尼崎市生まれ。関西学院大学卒業後、産経新聞社入社。平成5年の父で先代宮司死去後、第17代宮司として現在に至る。