写真とかたる 【6】 お米屋さんの家族の風景

尼崎で撮った昔の写真を見て、当時の思い出を語ってもらいます。ご本人が写っている懐かしのスナップをお寄せください。

1974 神田南通

「後ろにお米積んでるでしょ。この頃はみんなようけお米を食べたんよ」と、30年前の写真を見ながら話してくれた竹森敬子さん(63・写真左)。40年前に尼崎のお米屋さんに嫁いできた。芦屋で育った敬子さんは、当時の出屋敷駅界隈の活気に驚いたという。

今回見せてくれたのは、お店の前で撮った家族の記念写真。男手はみんな配達で出払っており、お店を守るのは奥さん、敬子さんの役目。「当時は忙しくて、子どもたちを保育園に預けて働きっぱなし。商売しながら子ども育てるのは、そら大変やったよ」と振り返る。当時は、商売人はお店の2階に住むのが当たり前。商売と生活が一体で、近所の商売人の奥さん連中もみんな仲が良かったそうだ。

「保育園から帰ってきたら、商店街でウロウロと遊んでいました。よそのお店のお手伝いをしたりね」と長女の幸子さんも思い出話に加わる。お父さんの集金に連れられて三和書房で立ち読みしたり、路地裏でローラースケートをしたり、当時の商店街の風景がよみがえる。

写真の場所には今はマンションが建つ。その向かいで現在、敬子さんは娘さんと一緒に、お弁当屋「弥次郎兵衛」を切り盛りする。食生活が大きく変わるなか「もっとみんなに美味しいお米を食べてもらいたい」とはじめたこの商売。お店では月に2回、丁寧に味付けした具と自慢のお米を使った「田舎巻き」を売り出す。「この辺りには、昔を懐かしむお年寄りがたくさんおられます。だから昔懐かしい味を伝えたくて」と話す敬子さん。お昼時になると弥次郎兵衛の前には今日もお客さんが集まる。

今回のご提供は…竹森敬子さん

1941年西宮市生まれ。芦屋で育ち、結婚後尼崎に。お弁当と惣菜の店「弥次郎兵衛」店主。


取材・文 若狭健作