ヒトリゴト…

大物公園でしてはいけないことを

実家のゴールデンレッドリバーを一日預かり、大物公園へ散歩に行った。犬の散歩は禁止されているので、こそこそっと目立たないように、こどもたちに出くわさないように、はやる犬を押さえて、久しぶりに大物公園を練り歩いた。そこは、小学生時代に毎日のように野球をしていたなつかしの場所だった。

私の記憶では昭和40年代最初には、公園の真ん中にちょっとした丘があって、その上にサーカスが来たことがあったように思う。昭和40年代半ばから異臭のした稲川の埋め立て工事とそれにあわせて、大物公園内に日本地図の植え込みが完成した。また現在県立尼崎病院がある場所に、ナイター設備のある野球場もあった。今から思えば、尼崎市はすごく余裕のある、センスのある建築のできる市だったんだなと、感心させられた。この日本地図の植え込みや、ナイター設備付の野球場、私が卒業した浦風小学校の円形校舎など。この大物公園の植え込みが日本地図になっていることを今、何人の人が知っているのだろうか。

してはいけない犬の散歩をしているので、隠れるように通ったのだが、こどもはひとりも遊んでいなかった。最近のこどもは外で遊ばないようだ。私は家で遊ぶよりも、暗くなるまで外で近所のこどもたちと遊んでいたが、今はどうしているのだろうか。

今の犬の散歩同様、昔も公園でしてはいけない野球をして、公園の管理人のおっちゃんによく追いかけられ、逃げ回った。でも、そのおっちゃんは、私たちが野球をしてのどが渇き、隣接する産業郷土会館の水を飲みにいっても見逃してくれたりした。

昭和40年代、尼崎市は確かに光化学スモッグなどの公害や、川の汚染というマイナスイメージがあったのは事実である。が一方、人口も55万人のピークのときでもあり、活力がみなぎりながらも、公園の管理人のおっちゃんのように、心に余裕のある時代だったのかもしれない。

そうこう考えているうちに犬がウンコをしたのであわてて、持ってきた新聞紙をひいて持って帰った。


佐茂 省治(さも しょうじ)

1963年愛知県生まれ。幼児期から中学生まで尼崎大物に住む 佐茂省治税理士事務所 所長