ノスタルジック・アマ 忘れ去られた盲腸

学生さんがとらえた尼崎。若い世代のノスタルジーがここにあります

尼崎港線の跡地

国鉄福知山線は尼崎駅からさらに南へとのびていました。南部の工場群で働く労働者の足として活躍していましたが、1984年廃線となりました

「盲腸線」―終点で行き止まりになっているような鉄道のことを、そのかたちから人間の「盲腸」に喩えてこう呼ぶ。こうした「盲腸線」では通過旅客が少なく、一般的に経営が厳しくなりがちだ。国鉄末期に次々と廃止されていった赤字ローカル線もこうした「盲腸線」がほとんど。「なくてもそれほど困らない」盲腸のような存在、「盲腸線」はそんな響きを持った言葉だ。

尼崎港線、通称「尼港線」もそんな典型的な盲腸線だった。末期には一日わずか2往復、古ぼけた機関車が冷房はもちろん暖房さえも無い客車を一両きり引っ張って往復するだけだった「盲腸線」尼港線は1984年に姿を消す。

それから17年、その跡には既に多くの家が建ち、その痕跡は細長く残された空き地だけのようにもみえる。しかしよく見れば、煉瓦造りの橋脚、踏切の横によくあるようなトラ模様のごつい柵、古レール製のきゃしゃなフェンスなどかつてそこにあった鉄路の名残が住宅地の中で居心地悪そうに残っている。その一方で尼港線跡が緑地として整備されつつある。レールを模したタイル、鉄道用車止め型の看板、美しく整備された公園は晩年のひなびた尼港線の姿とは異なる。だが、それは「忘れ去られた盲腸線」の静かな自己主張でもあるのかもしれない。


吉澤 秀治(よしざわ しゅうじ)
1976年11月8日三重県生まれ 関西学院大学大学院総合政策研究科修士課程2年 ただいま三田で冬ごもり