尼崎雑感:まちを愛する市民に支援 尼崎信用金庫理事長 橋本博之

あまけん、あましん。1字違いの大先輩にいつか輪に加わってほしいという願いがかないました。地域金融機関にとっても、「南部再生」は大切なテーマ。理事長の橋本さんに尼崎に寄せる熱い思いを語ってもらいました。

大阪府尼崎市…。私が尼崎に住んだのが昭和40年12月のこと。金沢の高校時代の友人が私にくれた封書では、尼崎は大阪府下ということになっていた。友人のみならず、こういう私も、高校時代、地理に不案内で尼崎市は大阪府という認識であった。

縁あって昭和41年春に尼崎信用金庫に入庫し、爾来35年が過ぎた。当時の尼崎は、四日市と並ぶ公害の街であった。最初に配属された武庫之荘支店では、スクーターで町中を駆け回っていた。そんなに公害の街という感じはなかったが、時折、本店に行くと空は鉛色で、町の匂いもどこか油っぽく、すっぱかった思い出がある。

あまけんから西へ歩いて約10分の(左から)尼崎信用金庫本店、尼信会館、世界の貯金箱博物館

企業撤退で人口減

その後今日までの尼崎市の環境変化は、尼崎市と市民生活にプラスとマイナスの両面からさまざまな影響を及ぼした。重厚産業の撤退は環境の良化をもたらしたが、南部地域で交通公害問題が深刻化し、また人口の減少は止まらず、50万人を大きく割り込んでしまった。

企業の撤退と人口の減少は、今後、私たち住民生活に、また尼崎市にどんな影響を与え続けるのであろうか。

昭和40年代初めの尼崎市は公害の街であったが、活力に満ちており、いまとは隔世の感がある。当時私が担当していた武庫之荘市場にしても、年末ともなれば市場中が買物客でごった返していた。もとより公害を容認する気持ちなど毛頭なく、活力復活のために再び公害問題が発生することなど許されることではない。しかし、企業の撤退と人口の減少は、尼崎に居を構える人々と、それ以上に尼崎で生業を立てている人たちには、深刻な問題である。

環境整備と活力の維持向上は、相反する命題なのであろうか。

この30年余り、行政もこの問題に正面から取り組んでこられたことと思う。いくつかの市民団体、産業団体、識者のみなさんも尼崎の将来について真剣な議論をされ、有意義な提言もされている。しかし、市の財政が逼迫するなかで、行政サービスの低下を防ぐ努力にも限界があろうと思われる。財源あっての議論となると、市単独ではなく、県や国のバックアップも欠かせないが、最近浮上している「地方自治の独立性」もこの問題に影響してくるかもしれない。市民の受益者負担は低いに越したことはないが、逼迫する財政のなかで、今後負担の問題をどうするのか。

財政再建の議論を

昨年、13年度予算の策定に際して一部受益者負担増が織り込まれ、予算案が議会で否決されるという事態が起こった。この問題にしても、賛否両論があり、否決に回るのも市民を代弁してのことだろうが、否決すること自体で議論が終わるのではなく、引き続き市民サービスの維持と均衡について真剣な議論がなされる必要があると思う。今後も是非、市民の代表と行政がともに財政再建について活発な議論をしていただくことを期待したい。

尼崎を愛する多くの市民の方々が尼崎に誇りを持ち、市内各地の伝統や文化の伝承に努力されていることには、頭が下がる思いである。

弊金庫では、昭和53年に財団法人尼信地域振興財団を設立し、地域のさまざまなコミュニティ活動を支援させていただいているが、昨年創業80周年を迎え、今後も引き続き、地域金融機関としてこうした活動を積極的に支援し続けていかねば、と思いを新たにしている。


橋本 博之(はしもと ひろゆき)

1941年6月大阪府生まれ。66年尼崎信用金庫に入庫。平野・園田・西宮支店長、総合企画部長を歴任。94年理事に選任。96年常務理事、97年専務理事、98年副理事長、99年第8代理事長に就任。全国信用金庫協会理事。趣味は写真撮影。尼崎市在住。