15 論:知りたい、学びたい。を大切にし、こたえること 認証アーキビスト 辻川 敦
本誌でも歴史考証や史料紹介でお世話になった「史料館の辻川さん」が今年退職を迎えた。43年にわたるその仕事を振り返ってもらった。
市職員になる
1982年に大学を卒業して尼崎市職員になった。日本史を専攻したので、その専門を活かせる職場を希望し地域研究史料館に配属された。以来、再任用期間を終えて退職する今年(2025年)3月まで43年間、実質異動なしでひとつの職場で過ごした(2020年に史料館と文化財収蔵庫が統合されて市立歴史博物館になり、史料館は博物館3階のあまがさきアーカイブズになった)。同業者の専門職でもこういうキャリアの人間はめったにいないようだ。
暗黒時代
アーカイブズの世界に入ったとはいえ、実を言うとこの当時は「アーカイブズ」がどういうものなのかまったくわかっていなかった。大学でもそんなことは教わっていない。欧米のアーカイブズ理論が本格的に国内に紹介されるのは1980年代後半以降のことだ。
自分だけでなく、史料館の管理職連中もよくわかっていなかったのだろう。アーカイブズの知識がないだけでなく、どうやら市民サービスが何なのかがわかっておらず、これが一番問題だった。知識を鼻にかけて市民や行政職員をあからさまに見下すようなところがあり、館の評判はさんざんだった。利用者も少なく、毎日閑古鳥が鳴いていた。加えて1988年に完結した尼崎市史に続く編集事業がデッドロックに乗り上げ、その責任が問われる事態となった。
開かれた史料館
事態を重く見た市当局の手で人事異動が行われ、着任した新館長の佐藤功(いさお)さんのもと業務の立て直しに着手した。佐藤さんが掲げたスローガンは「開かれた史料館」。市民サービスを第一に、レファレンスサービスを通じて館を立て直していこうという作戦だった。「普及活動」と称して展示に力を入れる文書館施設が多いなか、アーカイブズ本来のサービス機能である閲覧利用を重視し、レファレンスがカギを握ると見抜いたのは佐藤さんの慧眼だった。
1990年代初頭に業務改革を実施した史料館はその後利用を増やし、2010年代半ば以降は年間相談利用人数2千人台をキープしている。そのスピリッツはあまがさきアーカイブズに引き継がれ、尼崎モデルとして国内アーカイブズ界のトップブランドとなっている。
新しい市史を作る
ようやく館の実績が上向いた1996年、尼崎市制80周年を機に、市制100年に向けた記念振興事業として新市史を作ることになった。やるからには既存の自治体史を乗り越えるものを作ろうと考え、わかりやすく親しみやすい市史を市民参加型で作ることを提案した。こうしてできたのが2007年刊行の市制90周年記念『図説尼崎の歴史』だ。
この本を作る過程で重視したのは、地域の空気感のようなものだった。多くの市民の方から記憶や体験をお聞きした。尼崎戦後史聞き取り研究会という会を立ち上げ、市民メンバーや若手研究者と一緒に調査研究に取り組んだ。そんななかで浮かび上がってきたのは、尼崎に住む一定年齢以上の人が共通して語るいくつかのことがらだった。室戸台風・ジェーン台風と戦争の悲惨な被害、何より楽しみだった貴布禰神社の夏まつり、おいしかった尼いもとランプ飴、そしていまはなき本町通商店街や三和・新三和の闇市のにぎわい。
こういったことこそ市史に盛り込みたいと考えた。多くは公式記録に残りにくいこれらのことがらを、尼崎探訪家の井上眞理子さんや都市自治体問題研究所の横山澄男さんはじめ多くの市民研究者があきらかにしてくれた。こちらも負けじと、公害問題や尼崎の高度成長といった欠かせない項目を調べて書いた。ビジュアルでわかりやすく、とはいえ学術レベルで勝負できるものを目指した。そんな風にして作った『図説尼崎の歴史』は好評で、2500部発行したところ数年で売り切れるといううれしい誤算もあった。『図説』はその後各地で出される自治体史への大きなインパクトとなった。
原点のレファレンス
忘れられないレファレンスがある。まだ史料館が暗黒時代だった1990年10月のある日、めずらしく来館者があった。大成中学校の先生と生徒で、かつて学校敷地にあった水路と墓地のことを確かめたいとのことだった。そこで、学校ができる以前の地図や航空写真を閲覧してもらったところ、たいへんよろこばれた。これらをもとに生徒が作った模型を文化祭に出品し、大成功だったそうだ(楠田喜美恵「史料館を利用して」史料館紀要『地域史研究』20巻2号、1991年2月)。
ひとりひとりの利用者の素朴な疑問に意味があり、調べ確かめることに価値があること。それにこたえるのがレファレンスサービスであり、アーカイブズの役割であること。多くのことに気づかされた、原点のようなレファレンス体験だったと思う。
知りたい、確かめたい、学びたい。調べ、記録に残したい。そんな無数の人々の思いを大切にし、真摯にこたえること。それを日々の仕事のなかでひとつひとつ積み上げてできるのが市史であり、アーカイブズなのではないか。そんな風に思っている。
つじかわあつし
1960年舞鶴市生まれ。京都大学文学部史学科卒業。全国歴史資料保存利用機関連絡協議会会長、同志社大学文学部嘱託講師、火垂るの墓を歩く会代表、猪名川倶楽部世話人、尼崎文化協会幹事、尼崎郷土史研究会幹事、神戸史学会地域委員、神戸空襲を記録する会世話人など歴史家としての活動の他、日本リアリズム写真集団メンバーとして空や夕陽を撮影する。