日本語学級が生まれた頃元公民館職員 深谷直方さん

尼崎の日本語教室の歴史は長い。1990年、園田公民館ではじまった日本語教室。その頃を知る元公民館職員・深谷直方さん(76)が当時を振り返ってくれた。

1989年10月に新築オープンした園田公民館(現在の園田西生涯学習プラザ)。「近所に公民館のチラシを配ってて、たまたま南清水の団地に行ったんです。そしたら管理人から最近ベトナム人が多くてそのマナーに困っているという話を聞いてね」という深谷さん。

350人が住む雇用促進住宅に126人のベトナム人が暮らしていた。ほとんどが戦争で逃れてきた難民で、姫路の難民支援センターで4カ月間日本語を学び、工業地帯として仕事の多かった尼崎へと移り住んできた。
言葉が通じなくて日本のルールがわからない。これを地域の課題ととらえた深谷さんらは、公民館で「日本語ボランティア養成講座」を企画して募集したところ、尼崎の人々が50人も集まった。

また同じ頃、ベトナムから来た中学2年生のオットーさんが、公民館に相談に来たという。「勉強するところが欲しい」という彼女の声を受けて、公民館が場所を提供。放課後になると子どもたちが集まり、宿題を見ながら日本語を教える「子ども学級」がスタートした。「近所の工場も応援してくれてね。バスをチャーターして京都や淡路島に遠足にでかけたなあ」と深谷さんも公民館職員として全力でサポートした。

「子どもたちは学校に行ってるから日本語ができるんですよ。まあ口は悪かったけどね。言葉の壁があるのはむしろ親の方で、子どもたちにチラシを渡して公民館に来るように呼びかけました」。そのチラシには日本語とベトナム語でこう書かれていた。「ベトナムと結ぶ日本語学級―文字を読みたい人、書きたい人、日本のことをもっと知りたい人、友達の欲しい人はぜひ、来てください。お金はいりません」。集まったボランティアのうち、20人は子ども学級、30人は大人向け講座を担当した。

「教科書を使ってマンツーマンで教えるというか、おしゃべりする感じかな。かたくならずお友達になって」とボランティアを誘った深谷さん。公民館まつりではベトナムの歌や踊りを披露してもらうなど、互いが教えあう関係が国際理解になると信じていた。

この取り組みがモデルになって、1992年には大庄公民館、96年には中央、99年には小田、2011年には武庫へと「日本語よみかき学級」として広まっていった。現在市内の日本語教室は12カ所。時代背景によってブラジル、ペルー、中国、韓国、インドネシアなど顔ぶれは変遷してきたが、尼崎で暮らし働く外国の人たちにとって変わらぬ居場所であり続けている。


取材=若狭健作、井口廣子 文=若狭健作