わたしたちが日本語で話す理由日本語教室こんぺいとう
金曜日の夜、仕事や用事を終えた週末の入り口に、日本語教室「こんぺいとう」が開かれている。「安くて気軽に日本語を学びたい」という人のために2022年に金子智子さんが立ち上げた教室には、ベトナム、ミャンマー、ポーランド、モロッコ…から生徒が集まる。授業料は月1000円で金曜夜7時からは園田東生涯学習プラザで上級クラスが開かれている、と聞きお邪魔した。みなさん、どうして尼崎へ?
園田東生涯学習プラザの一室で日本語を学ぶ
出稼ぎのために尼崎へ
「お金のため、仕事のために来ました」。ベトナム北部出身のジャンさんは6年前に尼崎にやってきた。三菱電機で働くエンジニアだ。はじめて日本に来たのは10年前。厚木の自動車工場で働いたあと、一度ベトナムに帰国したが再び尼崎で就職した。「尼崎は物価が安いです。藻川で毎週サッカーしているおかげでミャンマー人の友達もできました」と園田ライフを満喫している。「尼崎に来て最初は関西弁がわからなかった」とジャンさんが話すと、ミャンマーから来たナンさんが「本当に関西弁は難しいです」とこたえる。
クーデターで人生が激変

参加した全員がたまたまミャンマー人という日も。
現在コンビニで働くナンさん。2020年に大学院で物理学を修了したが、クーデターで政権が変わった。「夢は先生になりたかったんですが、今の政府を応援することになるのは嫌なので、家族を支えるために日本に来ました。大阪の日本語学校を不合格になってしまって、塚口にある神戸日語学院に来ることになったんです」と尼崎に来たのは偶然と笑う。尼崎で暮らしている感想を聞くと「花はきれいだしさむくない」のだとか。金子先生から「しんどいって関西弁はわかる?」と質問されると「わかります。職場の人がよく言っていますから」とウィットに富んだ会話もお手のものだ。
ミャンマー帰国を断念
グレイスさんもミャンマーからやってきた。2021年に大分県にあるアジア太平洋大学でMBA(経営学修士)を取得したが、内戦状態になった故郷への帰国を断念。日本で就職活動し、現在は大阪にある商社で働いている。住まいは大阪の不動産屋から紹介された塚口へ。「スーパーも近いし駅前なのでいいなと思ったのがたまたま尼崎でした」という。市役所のサービスセンターでこの教室を紹介されたそうだ。今年ミャンマーにいる幼馴染みと結婚したという報告に、教室が祝福ムードにあふれていた。
子どもの頃からアニメに
モアドさんは22歳のモロッコ人で海鮮丼が大好物。なぜか自らを「アキラ」と名乗る好青年は、子どもの頃からアラビア語に翻訳された日本のアニメをよく見ていたという。「もともと日本の文化に興味があった。中学校の授業で世界2位のGDP(当時)の日本の経済や法律について学びました。高校生になって独学で日本語を勉強したり、モロッコの大学に入ってからはオンラインで日本の会社を探してアルバイトしていました」というまさに新世代。大学卒業後の2023年に就職し来日。本社が尼崎という縁から武庫之荘の自宅でデータアナリストとしてリモートワークに勤しんでいる。日本の夏の猛暑についても「50℃になるマラケシュに比べたら大丈夫」と涼しい顔で笑う。
子育てと仕事と日本語と

びっしりとメモ書きされたナンさんのプリント
来日20年のアンジェラさんは、焼き鳥とアロマが大好きなポーランド人。日本に旅行で遊びに来た時に出会った男性と恋に落ちて結婚した。尼崎で出産し子育てと仕事に大忙しの彼女は、小田北生涯学習プラザの日本語よみかき学級に通っていたという。「勉強って一人では時間を取るのも難しいから、こんぺいとうに来てもう一度学び直そうと思って」と通うようになった。磨き抜かれた関西弁がかっこいい尼のおかんだ。
ベトナム人の世話役を
バオチャンさんは教室のムードメーカー。9年前にベトナム南部からやってきた。ガオレンジャーがきっかけで日本に興味を持ち、ワンピースや名探偵コナンといったアニメに夢中に。ベトナムで大学に通っていたが、家族から結婚を急かされるプレッシャーから逃れるように日本へ。語学学校に通いながら立花のコンビニで働いている時に出会ったアルバイト仲間と結婚した。持ち前の明るさと日本語センスが買われ、尼崎市の嘱託職員としてこのまちで暮らすベトナム人のサポーターに抜擢された。現在は人材派遣会社に転職し、全国のベトナム人のお世話役に飛び回る。
日本語で文化を交換する

乾杯が止まない飲み会は年に数回開催
教室では金子さんが用意した新聞記事を読みながら、そこに出てくる単語をピックアップしてその意味を確認していく。上級クラスだけあって基本的な文意は理解できるが、細やかな単語のニュアンスをともに探っていく。「半ば」「よけいに」「~こそあれ」といった単語について、できるだけ英語を使わず金子さんが身ぶり手ぶり、時には寸劇を交えて日本語だけで伝えていく。それぞれの国の事情や風習をたずねたり、心地よい会話の脱線をしながら互いの文化に耳を傾ける教室の雰囲気があまりにも楽しくて、取材を忘れて筆者もつい毎週通うようになった。
通い始めてひと月が経った頃、金子さんから「今度飲み会があるから来ませんか」とお誘いを受けた。場所は市内の焼き鳥チェーン店。総勢15人の大宴会は、それぞれの国の言葉で何度も乾杯し、歌い出す人、スピーチする人、さらに何度も乾杯する人…それぞれが日本語という共通言語を使って、この街で出会った奇跡を思いきり楽しんでいた。