論:尼崎キャバレー野球団 秋山惣一郎

昭和の尼崎にあった「キャバレー野球団」が、並みいる強豪を破って快進撃─。そんな痛快な記事が昨年、朝日新聞兵庫県版に載り、今夏には日刊スポーツで連載されて大反響を呼んだ。忘れ去られそうな街の記憶を発掘し、一本の物語をつむいだ秋山惣一郎記者に取材過程を振り返ってもらった。

昭和30年のキャバレー春美。写真提供=尼崎市立地域研究史料館

「戦後間もない尼崎にキャバレーの社長が作った野球チームがあって、社会人野球の全国大会に出場した」。そんな漫画みたいな話を知ったのは、おととしの秋、社会人野球観戦@京セラドーム大阪でのことだった。隣席にたまたま座った、出場チーム企業OBとおぼしき老人が、得意げに教えてくれた。暇とついでがあったら調べてみよう、ぐらいな感じでぼんやり聞いていた。

でも、なんだか胸騒ぎがして翌日、尼崎の市立図書館へ出かけた。カウンターで、最も古いものから5冊ほど、と頼んだ住宅地図をめくっていると、中央商店街を入って最初の角の右側に「キャバレー春美」は、わりとあっさり見つかった。神戸へとって返して、兵庫県の社会人野球連盟を訪ね、70年史を譲り受けた。そこには戦績が詳しく載っていた。さらにその足で、神戸の市立図書館へ向かい、社会人野球と言えば毎日新聞だと、縮刷版とマイクロフィルムを追っていくと、「春美」が1952年の社会人野球の産業別対抗、通称「サンベツ」の予選を勝ち上がっていくスコアや戦評が、これまた詳報されていた。キャバレー春美は昭和20年代の尼崎で店を構え、社会人野球の歴史にはっきりと足跡を残していた。

そこから数日、史実を肉付けする証言を得ようと、再び尼崎へ向かって、春美のあったあたりの商店を回った。店主たちは「あの店のおやじさんが生きとったらなぁ」と言いながら「知っていそうな人」を紹介してくれて、何軒か回ってようやく「駅前のグラウンドで春美の試合を見た」というご老人に会えた。

「歌手の灰田勝彦、知っとるやろ。『野球小僧』の。よう春美で歌ってて、春美でピッチャーやっとった。ビール飲みながら投げよんねん。大したもんや」

春美のステージには、多くの有名歌手が立ったという。どういう事情があったのか、野球好きで知られた灰田が、公演のついでに飛び込みで投げたことがあったのかもしれないのだが……。

社会人野球OBも訪ねて回った。富士製鉄、小西酒造、川崎重工などなど。春美と対戦した記録が残る元選手たちに聞いても、試合の記憶はないという。ここでも「あの人が生きていたら」という言葉を何度も聞かされた。ちなみに、今や80代になった元選手たちは、スタンドで声援を送るホステスさんたちの姿だけは、覚えていた。「野球を知らないから、おかしなところで歓声上げよる。調子狂うんや」「ええ匂いがしたのは覚えてるわ」。肝心の試合のことはとんと覚えていないのに、美人ぞろいと評判の春美のホステスさんたちには、つい目を奪われていたようなのがおもしろい。

街の人たちも、元選手たちも記憶を手繰り、申し訳なさそうに「あの人なら」と紹介してくれたが、「春美」の輪郭は、まだぼやけていた。あと10年、いや5年早ければ、と詮無いことを考えているところに、市役所OBから「昔の尼に詳しい」という人物の名前を聞いた。連絡を取って、指定された阪神尼崎駅前のホテルにある中華料理店を訪ねると、店内の個室に10人ほどが中華の円卓を囲んでいた。今よりもっと猥雑で、しかし華やかだったころの尼崎で、工場や商店を経営した「尼の顔役」とも言える古老たちだった。事業を孫子に譲り、あるいは廃業して隠居生活を送りつつ、月に何度かこの店に集まって昼食会を開き、あれこれ語り合っているのだという。

「春美のおやっさんが、野球キチ×イでねぇ。おかあちゃんもなかなか理解のあるおかあちゃんやったわ」「何という名前やったかなぁ、ボーイが尼崎のチームからいろいろ引き抜いて、こしらえたんや。寄せ集めや」

間に合った、と思った。あと5年遅かったら、などと思ったら不謹慎だ。最終電車に飛び乗った気分だった。

古老たちの話は、やがて本題を外れて、戦時中の話、商店街最盛期の話、公害問題に揺れた時代の話、今の市政の話、とあちこち飛んだが、尼崎について、この席で得られない話などない、といった勢いだった。工業地帯、商店街、歓楽街と、多彩な顔で殷賑を極めた戦後の尼崎。その時代のこの街で、キャバレーでもうけた金を野球チームにつぎ込んだ道楽者の社長が見た夢。古老たちが口々に語るのは、市史に記されることのない、貴重な路地裏と市民の歴史だ。贅沢な時間だった。集めた資料の行間が埋まっていく手応えがあった。

だが、結局、春美が出場した「第2回サンベツ大会」のハイライト、春美vs富士製鉄の後楽園決戦については核心を突けなかった。心残りだが、今は、それでも良かったかな、と思っている。「尼崎キャバレー野球団」は、野球の話じゃない。尼崎の街と人と時代の物語だからだ。

こちらに日刊スポーツの掲載記事がまとまっている。ご一読いただき、ご批判賜りたい。


あきやま そういちろう

1963年、東京都生まれ、千葉市在住。朝日新聞社で社会部、政治部、オピニオン編集部(政治担当次長)を歴任。Wikipediaで「日本が右傾化しているという前提で、様々な人にインタビューした記事の掲載を続けている」と紹介されるが、別にそんなつもりはない。神戸総局在任中の17年、初めて尼崎に足を踏み入れる。18年より日刊スポーツ記者。