建つんだ!城

誇り高き「城下町尼崎」に再び城を建てたい。明治の廃城令以来、幾たびも浮かんでは消えてきた城郭復活の夢がついに実現。四層の天守が今立ち上がる。「たて!建つんだ尼崎城!」と城下は盛り上がっているのだろうか。尼崎城復活プロジェクトを特集。さあ、みなさんご一緒にキャッスルしましょう。

悲願の城がついに建つ。

1873年の廃城令で尼崎城は跡形もなく取り壊された。明治以降、急速に都市化がすすむなか、城下には役所や学校、警察、病院が立ち並び、城下町はまったく姿を変えてしまったのだった。しかし、城があった記憶は失われるものではなく、「いつかは城を」の願いは人々に受け継がれ、廃城110年となる1983年には尼崎青年会議所を中心に天守閣再建プロジェクトが始動。署名運動や写真展、シンポジウムが開かれ建築図面を作り、瓦の寄進運動を始めようとした矢先、なぜか立ち消えに。以降も学校や市役所など市内各所で復元模型や城にまつわる研究会が立ち上がるなど、かつてのランドマークへの思いは募るばかり。景気が悪い、金がない…。どことなく閉塞感漂う尼崎市に「天守閣再建」のニュースが飛び込んできたのだった。

え?くれんの?尼崎が揺れた!ABO会見

「創業の地、尼崎に恩返しがしたい」。夢のまた夢だった尼崎城天守閣の再現計画は、旧ミドリ電化(現エディオン)の創業者、安保詮(あぼ・あきら)氏の寄付申し出により、一気に現実となった。2015年11月のことだ。

安保氏は1957年に常光寺で電気修理の個人商店を開業。4年後に「ミドリ電化社」を設立すると、塚口やJR尼崎駅を拠点に家電量販チェーンとして発展させた。尼崎への思い入れと感謝は深く、建設に見込む額はなんと10億円以上。市民や企業が資金を出し合う例はあっても、個人の寄付だけというのは他にないという。

尼崎市と協定を交わした日、「城には全然興味ないんですよ」と意外なコメントを残している。しかし、「子どもや学生さんに、ここに城があったんやなと感じてもらえればいい」と。さらに、「維持費はできるだけ安くせなあかん」と事業家らしい注文も忘れなかった。