完全保存版 戦争遺跡ガイド

いつもの街の風景に戦争の足跡がかくれていた。1945年の記憶語り継ぐ史跡をめぐる。

砲台跡@橘公園

橘公園の入り口、花時計の中心にたたずむライオン像。ただの台にしては大きく、コンクリート製の円柱型をした台座は、太平洋戦争中に使用された砲台の遺跡である。戦争の悲惨さを忘れないようにと遺されたものだが、なぜライオン?と調べると、1967年に地域のライオンズクラブが花時計とともに寄贈したのでライオンなのだそう。それ以上の理由はわからなかったが、ガオーと口を開いて地域を守っているかのようだ。

機銃掃射跡@開明公園

かつての開明小学校の塀に刻まれた無数のくぼみ。五合橋線沿いのごく日常の風景の中で、P51戦闘機による機銃掃射の跡が尼崎空襲の記憶として現在も保存されている。戦後60年を迎えた2005年に設置された銘板には、尼崎を襲った10回にわたる空襲の様子とこれを保存することが記されている。

平和塔@西長洲

太平洋戦争時、軍需工場が集積していたため多くの空襲被害を受けた尼崎市。特に西長洲・金楽寺は、1945年6月1日の空襲で多くの犠牲者を出した。JR尼崎駅の南側、西長洲八幡公園にある平和塔には、この空襲による死没者約300人と大戦中の戦死者19人がまつられている。1962年に地元住民による「西長洲六人会」によって建立されたもので、1994年までは毎年慰霊祭も執り行われていた。