サイハッケン 農村の記憶伝える石があった。

長く住んでいても意外と知らないまちの愉しみ。「へえ~」と目からウロコの再発見!
ディープサウスの魅力をご堪能ください。

写真は大庄西町2丁目。石積みの塀にまぎれて、謎の石はひっそりとたたずむ。

今も旧家が残る潮江界隈を散歩していたところ、不思議な形の石が点在しているのが目についた。狭い路地などで車止めのために漬物石のようなものが置かれているのはよくみるが、凹型のこのカタチ…何ともミステリアスである。これは一体何だろうか?

早速地元の人に聞いてみた。「ああ、これね。踏み臼ですわ。昔はこれを使って精米したんです」とのこと。なるほど、しかしどうやって使ったのだろう。

納屋の土間に埋められた臼を、この石を支柱にして長い杵を渡し、シーソーの要領で足で踏むように搗いたという。その姿はコメツキバッタの語源にもなったそうだ。

『尼崎の農業史』を編纂した尼崎市立地域研究史料館の中村さんにも聞いてみたところ「特に呼び名はないと思います。農家から米屋に納める際は玄米なので、この臼は自家消費分にしか使われていなかったのでは」と教えてくれた。

昔は身近な道具だったようだが、当時を知らない世代には新鮮な話だった。昭和30~40年代には、都市化や動力精米機への置き換えによって使われなくなったという。その多くは納屋を解体する時に失われてしまったようだ。

興味が出てきたので大庄や長洲といった古い集落を巡り探してみると、いくつも発見できた。横たわっていたり、ブロック塀に埋められていたり、その佇まいは様々だ。

都市化が進んだ尼崎の南部で、農村の記憶を伝える凹型の石が、行きかう人を静かに見守っている。


取材と文/井上 衛
1973年生まれ。尼崎在住。幼少期は武庫の田んぼでオタマジャクシと戯れていた。